梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

Profile

◤ぼくはいま、運動の専門家として仕事をしています。

 一言で表現できるジャンルが見つからないのですが、世間ではスポーツ・トレーナーやアスレチック・トレーナーと言われます。

 業界ではストレングス&コンディショニング・コーチと言ったり、最近では自分で色々名前を考えてパフォーマンス・コーチなんて命名をしている人もいます。

 ぼくは何故だかそういうものが苦手です。格好の良いタイトルやフレーズ、肩書きといったのは我ながら才能がないと思います。

 それは比較的大人になってから気がついたことですが、もしかしたら型にはまるみたいなものに抵抗していることを象徴しているのかもしれません。

 属することが苦手な性格は認めています。

 

◤我が道を行きたいという性行は、子どもの頃に育まれたものだと思います。

 レンガで有名な北海道江別市に生まれました。

 両親は共働きで、毎日札幌まで通勤していましたから、ぼくはいつもおばあちゃんに面倒を見てもらっていました。

 父の母親である梅原家祖母は孫にとってとても怖い存在で、出掛けるときにちょっとでも行動が遅れようものならズズイと一歩踏み込んで迫り「一人で居るか!!」凄まれました。

 現代の優しくてオモチャをたくさん買ってくれるおばあちゃん像とは、大違いです。

 父は私立高校の英語教師、母は札幌医大の看護師、祖母も家事と自分の用事で忙しくしており、兄は自閉症で手が掛かる、そんな家で僕だけは幼少からわりと自由奔放に育ったのかもしれません。

 だから3歳頃からの記憶が今でもあり、小学校に上がる前から自分一人で友達の家へ行き、公園へ行き、幼稚園の園長先生のご自宅へも自転車で遊びに行っていました。

 思えばこのときから、すでに自分の道を歩き始めていました。

 

◤毎日忙しくしている梅原家でしたから、あまり躾や遊びは教わりませんでした。

 利便性を求めて札幌へ引っ越したあとも仕事一家の生活は変わらず、人一倍強烈な思春期も経験して、おかげで自立心が強く育まれたと実感しています。

 高校卒業とともに家を去り、順天堂大学のスポーツ健康科学部へ進学しました。

 

 心の未熟な北海道の田舎者が、はじめて本州の地を踏むにはとても優しいところでした。

 医学部はお茶の水にありますが、体育学部は千葉県の印旛郡にあります。

 印旛沼は教科書に出るほど有名ですが、四方見渡せど一面畑しかないところにぽつんと大学があります。

 正直、大学での講義と部活以外は何もすることがないくらいのんびりしていて、親から離れたい一心でもあった若者には、あまりにも開放的な環境でした。

 ぼくはここで、スポーツ・トレーナーの勉強をしようと考えていました。

 しかし順天堂大学は、基本的にスポーツで身を立てようとしている人か体育教師になる人が来ていて、当時スポーツ・トレーナーというものは今のようにポピュラーではなく、日本ではまだゼロから作っていくような段階でした。

 

 それでもぼんやりとスポーツ分野に携わることをしようと決めていたので、みんなが教職の免許を取ろうとしているなか、一人で黙々と自分の勉強のための講義を聴きました。

 高校卒業の目前で人生の目的・目標を見つけられず、自分が社会で働く姿もまるで想像できなかったところから、唯一つスポーツ・トレーナーというワードが道筋を立ててくれました。

 

◤そんなこんなで大学を4年で卒業した後、それらしい仕事に運良く就くこととなりました。

 当時は先のない人生であったスポーツ・トレーナーでしたが、偶々バスケットボール部の一期上の先輩がある会社を紹介してくれました。

 そこでスポーツ選手のトレーニング指導を経験し、30歳を目前にして退社しました。

 退社の理由はふたつあります。

 ひとつ。幼少の頃から自分の意思で遊び、日にち毎日を歩いてきて育まれた稚拙であっても自立した精神が、社会に出ても同じように一つへ留まらず自分のやり方で進む生き方を、自然と選ぶことを決めました。

 もうひとつ。大学で親元を離れ開放感に浸っていた愚か者を、厳しく正しく指導してくれた正義の塊の上司が、あるときを境に別人のように変わっていったことで、それまでの憧れにも近かった尊敬の念が消えてしまいました。

 基本的に人見知りで、人付き合いも深くなると面倒を覚える性格ですから、これまで人を信頼する体験がなく、つまりは失望するというのも初めてでした。

 ぼくは責められることを覚悟で会社を辞することによって、自分の心が閉ざされていくのを断固守りました。

 それでもたしかなのは、現在の活動にそのまま繋がる体力トレーニング指導を中心とした実務経験を、小中高校、大学、社会人の各選手たちおよびチーム、監督、そして会社に積ませてもらいました。

 

◤7年間を組織のもとで働き、そこで鍛えた心身も力にして、子どもの頃からの歩き方である一人の「運動の専門家」として独立しました。

 独立してからずっと考えてきたことは、ただチームの成長や勝利に貢献するため、目の前にいる人たちだけが自分の応援する対象なのではない、ということです。

 会社は業務によって利益を上げることが第一義です。当然のことです。そこに属していると会社のための活動しかできません。

 広く日本のため、みんなのために貢献できることをしたいと思っても、我が社に利益をもたらすことが真っ先に来なければ、どんなこともできません。

 それを両立させることができるのは、自分一人で活動することでした。すべて自己責任ならいかに苦労を伴っても自由にできます。

 これまでの仕事のあり方を変えたいと思い、僭越ながらスポーツ・トレーニング・コーチという小さな枠を越えて、スポーツと教育また運動と生きることなど人間の行いはすべて繋がりがあるという信念を世に発信しようと考えました。

 

◤単に運動指導、体力トレーニング指導と言っても、それが成果を上げていくために必要なものは多分に存在します。 

 筋肉を鍛えるだけで競技力が伸びるものではなく、また心が伴わなければそれさえも充分に行うことができません。

 意思ある人間、理性ある人間、プライドも気分も立場も環境もそれぞれに抱える生身の私たちが、そんな機械的な論理と手段だけで人生を簡単に成功させられるはずがありません。

 身体と心と人間関係と、さらに多くの環境の中に私たちは存在しています。それが現実、ありのままですから、当然あらゆる視点からものを考える必要があります。

 

 これまでは専門家と言うと、ひとつのジャンルに精通した人、でも言い方を変えればそこにしか論ずることを許されない人、といった空気が日本の社会にはありました。

 仕事の分業が進み、それだけを造る職人というのが日本には根付き、特化することで精度を増すことを約束する一方で、それ以外は関わらない知らない管轄外というような無責任体質も広がってしまいました。

 

 素晴らしい仕事というものは、全体の中に見事はめ込まれたパーツのことを言います。

 パーツは、全体がひとつのものとして輝いてはじめてその存在が価値を生みます。反対から言えば、一つ一つのパーツがきちんと繋がり合い共鳴してこそ全体が生まれると言うことです。

 つまり専門家の仕事とは、全体を見通した上で繋がりを見つけ出し、それを元により詳細に掘り下げることです。

 

◤独立してすぐ、まず体力づくりと競技スキルを繋げました。

 一般的に周知されたトレーニングの立場はあくまで間接的で「競技に活かす」だけなので、もっと直接に競技力を伸ばす取り組みを教えようと考えました。

 従来の、とりあえず身体を鍛えたらあとはどうにかプラスに影響するはずという発想を切り捨て、現実的にどんな能力を習得することでプレイが伸びるかを見つけて、ダイレクトにアプローチする方法を導入しました。

 さらに競技力を伸ばし得るエナジーは他にもあり、食事、教育、人間関係、練習環境、果ては子育てに至るまで、あらゆるものに因果関係があり、またそれらは強く結ばれ合っています。

 

 栄養や教育などへ、実務者でない者が触れることは畑違いと言われ敬遠されがちです。食事は管理栄養士、教育は教師、子育ては家庭の個人事情などと言ったように、分業化の名の下にセパレートされているのが今の日本です。

 しかし、門外漢と揶揄されても一般論と真逆であっても深く分け入っていくのは、それがありのままの客観的な事実だからです。必要だからするだけのことです。

 人がすることですから、すべては繋がっています。それをほんの狭いすき間から見ていたって実態は掴めません。

 

 本当はただ視野が狭いだけのことを、難しい理論や方法論を並べ立てて難題を解き明かしたと各分野の専門家が研究を披露し、無理に現実社会へはめ込もうとします。

 たとえば仮に「頑張って練習しているのに試合でまったく勝てない」としたら、コーチはさらにもっと練習時間を伸ばしメニューをきつくして追い込み、ハードワークによって壁を乗り越えようとします。

 もしくは怪我が多発したときに、「身体が弱い」と考え、肉体改造に力を入れ克服しようとします。

 でも実際は、モチベーションが低下しているのかもしれないし、練習をふざけてデタラメにやっているのかもしれないし、素行不良が影響しているのかもしれません。家庭での食生活が悪く心身が落ち込んでいる可能性もあります。

 伸びる要素と伸びない要素は、同じであることが多いのです。それととくに、独立して一人の専門家となってからよく理解しました。

 ある一つのことが別のもう一方に影響する、その結果によって生まれたものがさらに別のことへ波及することを、ぼくは「相乗効果」ではなく「繋がっている一つ(それが全体)」だと気づきました。

 これは良い方向へも悪い方向へも働きます。すべてはシンプルであり、繋がっています。

 

◤ぼくは物書きではありませんが、書籍を一度だけ出しました。

 実際は3冊ですが、これはシリーズもので編集者は当初から3部作を構想していて、もし1冊目が売れたら出せるということでした。

 運良く初版がものすごいスピードで売り切れ、その後もAmazonのスポーツカテゴリーで1位を取り続け、少ない部数ながら何度か増版を重ねました。

 バスケットボールに特化した体力トレーニングの実技解説としての本なので、一般的に言えばノウハウ本、ハウツーものです。

 でもぼく自身は、読み物として、また古くなっても色褪せない辞書として、執筆に力を入れました。

 写真撮影は膨大な量でしたから大変に苦労しましたが(当時撮影に協力してくれた選手たち有難う!)、それ以上に原稿を書き上げることに苦しみました。

 苦労して精一杯の言葉で表現した渾身の原稿は、ハウツーとしてはスタイルが違うために小さな字で押し込められるようにしてレイアウトされました。

 でもそれはやむを得ないし、当然のことです。はじめから写真で見せる実技書を出すという企画でしたから。

 

 とにもかくにも人生ではじめての書籍「超実践身体能力が劇的に変わる!バスケ筋」(株スタジオ・タック・クリエティブ)を2009年8月に出版し、続いて2010年6月に第2作「超実践 個人技が断トツに上達する!バスケ筋 技術革命編」と2011年8月に第3作「筋トレで能力が劇的に変わる!バスケ筋FINAL 最強のカラダづくり編」を出し、そこで精魂疲れ果ててしまい「もう同じ作業はできないな」と自分で確信しました。

 たまに来る雑誌原稿の依頼は、時間と気力が間に合うので引き受けましたが、本を出版するほどの体力がありません。

 それは本を作ろうと思った場合、その企画も構成も何もかもはじめから自分一人で行うからです。

 世の中に貢献できるものであるためにはどのような内容が良いのか、それはどんな人たちが使うのか、どんなものであったら活用しやすいか、そのようなことを思案し作品にしていきます。

 それは自分の発信に全責任を担うという意味でもあり、まるで脚本家、漫画家、作曲家、画家、彫刻家、陶芸家のようであり、だから決して依頼者の考えてきたコンテンツの中で演じるだけのものづくりはしません。

 やはり物書きですね。ハハッ。

 でもぼくは物書きではありません。だから辛いんです。

 

◤そろそろ「機」は、いや「気」は熟しつつあります。

 最後の出版から多くの時間が経ち、2018年5月にメールマガジンを使って定期レポートを執筆する依頼が来ました。

 ぼくの専門とする分野で、メルマガ登録者へ情報を発信してもらいたいということでした。

 週2回ほどのペースで発行されるものであったので、字数を読みやすい分量に決めて、写真や映像も使ってレポートを出していくことにしました。

 それがある意味でリハビリと訓練になって、また文章を書く体力と気力が少しずつ戻り始めました。

 はじめはやはり随分と苦労しましたが、拙稿を重ねるうちにペースを上げられるようになり、いまある時間の中でどうにか書けるようになりました。

 何事も意欲と慣れですから、いまの復調の具合でいけば、またいずれ書籍や映像などの作品を世に出せるかもしれません。

 できれば動画コンテンツでの教材を進められたらと考えています。

 

◤未来へとつづく....