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やっぱり熱量って、大事なところじゃないかなと思うんです。
己の立場ではどうしたってコーチ目線になりますが、まずは子どもたちの熱量、さらにそれをつくっていくために指導者とか教師とか親とか、いわゆる社会において育てる立場にいる人間の熱量ですね。
スポーツ指導や教育では昨今、様々に批判を浴びますが、事実としてまず自分を強く鍛えることのできる志の高い人間などほとんどいないのであり、指導者の熱量が小さければそれに比例してチームおよび選手は気持ちも行動もゆるんでいきます。
ケシカランとか良い悪いの話ではなくて、顧問が程々に軽くやっていれば選手も大概がそうなっていくのは自然のなりゆきです。
才能があっても目標に向かう歩みが弱ければ、望む結果は残せません。
そうなるとせっかくのチャンス、せっかくの良い環境や条件というものを、熱量が低いために腐らせてしまうのです。
望まれるのは選手自身に意欲があり、加えて外から大きな課題を与えられる。目標値はこれだ!さぁ超えられるか!と。
選手はそれに挑戦して、自らの力で一段と大きく飛び越える。
果たしてここに、不自然な関係や不合理な世界が存在しているでしょうか。
熱中して取り組む人はもう一心不乱だし、没頭すれば無理が無理ではなくなりますね。
それを簡単にオーバーワークだと言えるでしょうか。
コーチの側も、熱が入れば言葉も強くなるし要求も高くなります。
エネルギッシュであることを、すぐにハラスメントとしてしまうのは現代の悪夢です。
昔は今は・・古い新しい・・といった比較思考は簡単ですが、それが深い論理に到達しているとは言い難いものがあります。
しかしその上でなお、すべてを懐疑的に見たとして依然たしかであるものが、物事に向かう本人の熱量じゃないかなと、僕自身は考えます。
指導者の端くれとして、決して拘りでもポリシーなどでもなく、素直な自分でこれからもすべき仕事をじみちに尽くすのみです。