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おそらく頭の固い人は、僕のトレーニングは合いません。
頭の固い人は、なんでも普遍の答えを求めたがります。
1+1=2のような、客観的な事実を欲しがる。
でも僕のトレーニングにおける客観的事実は、物事の正解ではなくて「望む結果」です。
結果が紛れもない事実だから、どう正しくても間違いでも、走れないものが走れるようになることが望む結果であり、跳べないものが跳べるようになることに唯まっすぐ向かっているだけです。
結果を出したいんです。
それは、誰にだってある普遍の答えだろうと思うのです。
表面には真理が一致しているようでいて、同じものを探しているようでいて、その認識はまるで異なります。
縛られているのはどちらか、自由度が低いのは?
方程式に拘りすぎると、成果が遠のいてしまうかもしれません。
いや、実際に経験ではそうであったし、たったいまも自己探求がゴールになっている人は少なくありません。
自己探求=自己満足です。
この満足は自己暗示を創り出し、この暗示によって自己顕示が強くなる場合もあります。
そこまでは稀にしても、発想力や想像力、創造力を押し込めてしまうことは避けられません。
従来の枠に囚われることは不自由であり、自分の感覚や経験ですべてを見ることも不自由です。
これらは“頭が固い”と言えませんか?
決して誰かのことを言っているのではなく、最近にそういうことを言われたのでもありませんが、成果をあげるためにはチャレンジと発想が必要であり、狭い空間に閉じ篭もって否定的な人、それから検証が乏しく「それほんとに?」というような指導なんかも、同じく結果には繋がりにくいように思います。
推測で言っているのではなく、見ているとそういう場合が多いという意味です。
新しいものを受け入れる柔らかさがあるならば、きっと「こんなふうにしてみたらどうかな?」といくつもアイディアが浮かぶはず。
多角的に、もしくは一つのことに違う視点を持つことができるので、そういう人は隠れた答えを見つける可能性が高くなるでしょう。
結果を求めて式を求めず、固いこだわりを捨てられれば、梅トレは超の付く起爆剤になると断言します。
今日もとても良い練習になりました。