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意見が分かれるとき、古い時代と現代でぶつかり合うことが少なくありません。
昭和だ・・・とか、もうそんな時代じゃない・・・ってよく言いませんか。
反対に、昔はこうだった・・・いまの若者は・・・と言って、さも厳しい時代をくぐり抜けてきたような発言も多いように思います。
このどちらも自分側だけに留まり、新しく学ぶことをしません。
でも世間ではこの偏りによって空気が作られます。
SNSが広がり、自ら発信者となる人々が増えました。
発言をすると、それに評論をする人々も増えます。
セールス的なコンテンツであれば単に商品への個人意見に過ぎませんが、SNSの投稿には自分の考えや心の思いを発言するものもあって、それらに対して評論好きが勇んで反応します。
ここに、どちらの意見が真実であるかという、正義と悪を決しようとする無意味な争いが生まれます。
分け方は安易で、古いか新しいか、むかしかいまか、それに執着しています。
僕も仕事として、関係する様々なジャンルの話をここへ書くし、SNSへシェアする際にも簡単なコメントを添えています。
ありのままを言えば、聴いてもらいたいのでもアピールしたいのでもなく、仕事だから・・が本音であり、またなにかしら考えを持ったならば発信すべきだろうとも思っています。
そこには「誰から認められた」とか「言うべき立場にある」などのような遠慮は一切ありません。
どこまでも自分の言葉を発することが大事であり、そうしたいからこそ発信しています。
世間の模範解答に添うだけならみんな一緒の言葉なのだから、あえて僕が発信する意味など無くなります。
自分の頭で考えたことだから伝える価値があり、それを世間に照らして正解か否か、良いか悪いかに分けようとすると発言できなくなるのです。
世間ずれしているとか、いまの風潮にマッチしないなどと言われても、自分の言葉を発するのがこのブログでのルールです。
またその上で、どのような発言についても、論争するつもりなど端からありません。
なにが世の正解かと探すことは立派ですが、内なるものを他人へ押し付け巻き込むのは迷惑な自己欲求です。
どちらの思考が上かを競う労力ほど無駄なものはなし。
語りたい人は勝手になさっていたらよろしい。
時代を持ち出す人は、納得できる意見なく、ただ「現在が良い」と言っているに過ぎず、それは同時に数十年後に「時代錯誤だ」と断罪されるものであると自ら言っているのです。
未来に時代錯誤となるなら、いまこの時点でも正しいとは言えませんね。
つまり矛盾している論理であることを意味します。
このようによく考えもせず、はじめから拒否してしまうのは大変な誤りですし、これこそ偏見というものです。
本当は、いまだから得られたものがあり、いまは失ったものもあるはずです。
答えにむかしもいまもないのです。
古い新しいは時間の流れを言っているのではなく、より深まった思考であること、前進した良い動きであることを示す意味だと、僕なりに解釈しています。
それならば当然、昔のものが新しい場合もあるでしょう。
現在(いま)だけで物事を見ようとせず、過去も含めてすべてテーブルへのせてみたら、きっとこれまでより広い視点がつくられます。
スポーツのこと、からだづくりのこと、教育のこと、コーチングのこと・・・あらゆるテーマにそれが及ぶことでしょう。
勇気を出して、昔から紐解いた未来を創造してみませんか。