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昔とは時代が変わったから・・・と言って、現代に馴染んだ指導を行おうとする人は多いと思います。
社会がひとつの空気に包まれて、それに合わさないといけないというのが主な理由ですが、それがために悩んでいる人も増えているでしょう。
時代によって流れは変わります。
そのときの流行や生活スタイルも移りゆくのは自然ですが、物事の考え方、行い方が唯一つしかないのは大きな誤りです。
遊び程度に活動している団体や人がいて、真剣に競技的な目標に向かっている団体もあるわけです。
スポーツ指導にも、厳しい場合と緩い場合があります。
厳しくして結果を出している人がいて、緩くても勝つ人もいます。もちろんその反対も。
だからどっちが正解だ、なんて言えません。
世の中、社会全体そして万人に一致したものなどあるはずがないのです。
それを「こうしなくてはいけない」とするのが、文頭の言葉です。
昭和だと、平成だと、令和だと・・・。
コレという決まったひとつの価値観と方法しか正解ではないのでしょうか。
自分も成長しなきゃな、と前向きなら良いんです。
素晴らしいことですし、必ず良い方向へ向かうでしょう。
でも、時代だから絶対にそう努めなきゃいけないと考えるのは、自分を極論へ縛る行為だと思います。
ある指導法で成功している人がいたとして、成功の秘訣は指導法にあるのか、その指導者にあるのか。
指導法にあるのなら、あなたもそれを努力してマスターする価値はあるかもしれません。
でも指導者自身にあるのなら、あなたには一切なにも価値を生みません。
あなたはあなた自身であって、その人ではないからです。
そこはどう頑張っても、人間をコピーすることはできません。
その人だからできる指導があるとするならば、自分は自分にできる指導をするのみです。
世にある「こんな指導が良い指導」みたいなひとつの正解は、存在しないことになります。
仮に正解とされるものを全員が追い求めたとしても、必ずしも上手に使いこなせるとは限りません。
人間的性格がありますから、それが成功の要素であるならば誰も真似することなどできないのです。
それならこの指導が正解、などというものは幻想に過ぎません。
追うのはやめるべきです。
できない指導法を無理して身につけようとしても、不具合が生じるだけです。
それは選手とチームに、そして自分にも不利益です。
僕は方法論より人間的性格に力があると信じています。
そこに時代は関係ありません。