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スポーツの在り方について考える機会、いや機会というよりも空気が生まれたというべきでしょうか。
いま日本では少なからず新しい目線で捉えはじめ、また実行する様子も見受けられるようになりました。
多くはスポーツのなかのさらに「コーチング」について、これまでと違う価値観を探そうとしている人たちがいます。
苦しく頑張るのではなく、楽しく。
ただそこには困難があり、なにかパッとしない現状もあるだろうと思います。
指導者自身が迷われている。
成果が出なければ、己のしていることが正しいのか、証明されるものがないので疑問を抱いてしまうのは当然です。
様々に話を聴いていると、ある種の思い込みや決めつけに囚われているような印象を受けることが少なくありません。
ご自身がそこに気づかず、良いことをしたいのに成果を出せなくて悩むのです。
スポーツの楽しさと喜びを知る、それをどうやって演出するかに奮闘されているコーチはSNSを見ていても増えているように思います。
選手ファーストを先頭にして、新しいクラブ運営を模索する人もいます。
そのようなスタイルの団体も出てきて、スポーツは次世代へのステップを踏み出したように思います。
そして僕はこう思います、すべてそれぞれの価値観による在り方であると。
ユルいことが楽しいことなのか、厳しいことが苦しいことなのか、なにかどうもスッとしません。
勝ち負けを取り除くと良い教育になり、勝負事をすると人間が曲がってしまうことがあるのでしょうか。
すべてが尊重される在り方であって、その自由が担保されることに素晴らしさがあると、僕は考えます。
しかし99%は(本当は100%と言いたい)、新しい価値観や思考というよりも、あるものへ対抗する立場としてそれが生まれます。
右と左に分かれて原動力を相手から貰うので、つねに否定することから物事を考えようとします。
否定からしか存在を発揮しないので、発展しません。
対抗するものがなくとも、あるがままその価値観を大事に育むことができるはずです。
つまり楽しいも苦しいも、ユルいも厳しいも、それ自体で存在価値を上げていく必要があるということです。
そこを間違わなければ、自分のやろうとしていることに迷いがあったり、正解が判らないといった悩みは少なくなると思うのです。
自分の思考や取っている立場に対する否定的存在をつくらないことが原則であり、そうしているが為にご自身の足も止まっているのだと気づく人は前へ進めます。
なにを否定せずとも、あなたのお考えは素晴らしいものなのです。