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ふぬけてタラ~とやっているから「オリャ!」と気合いを浴びせると、選手の動きはうんと良くなります。
しかも、かなりレベルの高いフットワークができます。
実際には、そのくらいできるということです。
そうすると僕は選手に「これは誰のおかげか」と問います。
とうぜん活を入れたからであり、コーチである僕のおかげです。
「そんなことでどうする?」と今度は渇!を入れるわけです。
他人の力で自分の能力を発揮しているようでは、本物ではない。
自分の結果は自分で出すものです。
でも現実は他人にお任せしてばかり頼ってばかりで、なかなか自分でアクセル踏む人はいません。
高い運動レベルを既にして持っているのに自分ではその能力を出せなくて、外力によって点火されて目覚めるということはどの世界にだってあります。
ただ自分から動き出すことが少しも無いのでは情けないし、本来の力を潜めてしまったら練習の的を外してしまいます。
まるで適さないズレた内容を当てては何にもなりません。
じつはこれで強度や難易度の低い練習をしてしまい、無自覚に失敗しているチームが少なくありません。
頑張るのか、しないのか、選手にいつも問いますが、真剣に受け止めている人はいませんから、ボタンは結局僕が押すのです。
もしそこをグルッと真逆に変えようとするなら、行動の根っこから改めるしかありません。
それは一度すべて壊すことを意味します。
主体性の形成に挑戦しているコーチもいますが、ありのままに言えば地盤のあるところに限られます。
選手の技量がある程度高くそれを毎年確保できること、部員数が多いこと、コーチの任期が長く続くこと、学力が高いこと、これらがあれば瓦解を避けられる可能性はあります。
コーチがボタンを押さず、すべて選手に委ねることができれば最良です。
ただ実際にはそれをすれば間違いなく、大半のチームは崩れ去ります。
これまでの積み上げが崩れ去るのではなくて、物事を探究するという意識そのものが崩れ去って、二度と競技力のあるチームとしては再建できなくなります。
よほどの意欲と行動力のある人間でもいないかぎり、コーチ不在のチームづくりは地盤を喪い、唯一の伸びるチャンスを捨てるのです。
現実は恵まれた環境や条件がものを言うのであって、それがあるなら思い切って壊せます。
本当に跡形もなく壊して更地から立て直せるほどの地力・自力を、どれだけのチームが携えているでしょうか。
僕はコーチ側として、自ら考えて自分の意思で動くこと、またその結果を負うことを、自分自身の痛い教訓もあって子どもらに諭しますが、でも点火のボタンは毎回のように押します。
なにやってるんだ動き出せッ!とタラタラやっている選手に電気信号を送って、本当の能力でトレーニングさせるのです。
そこになんら矛盾はありません。
生活水準や風土風習、気質などがそこの環境をつくるので、皆が同じことを行えるものではなく、同じであるはずもないのですから。
なんでも自分でやらなきゃ!と発破を掛ける、ちょっと可笑しな毎日です。