梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

大人の作品

日頃から、なんでも干渉して手を貸して大人が作ってあげる環境はマズイ、と自分で言っておいて、結局同じことをしているのかもと最近思う。

ガミガミとものを言って、発奮させようというつもり、わざと嫌みなことを言ったりもして。でもなんだかんだ結局、筋道立ててあげているのかなと、考え込んでしまう。

説教をすればするほど、伝えれば伝えるほど、それは選手たちにこちらから「どうすればいいか」の答えをあげていることになってはいないか。こちらから整理してまとめてあげていないか、それは甘やかしと変わらないのではないだろうか。

自問自答の日々があらたに始まった感じがします。

自分の力でとか、結果を出すのも請け負うのも自分、などといつも思っているのに、選手にもそう言っているのに、俺がやっていることは他者の助力そのものじゃないのか。

全部「こういうことだ」と話してあげていることであるし、彼らをプロデュースしてあげているのかもしれないと、己の行動の矛盾を感じています。

突き放しているつもりが実際は手を差し伸べているような気がしてなりません。ただ私の話を聞いているだけのことならば、それでは選手本人が責任を取っていません。それはきっと過保護そのものでしょう。

究極は、選手・チームを作ろうとすることをやめるしかないのだと思います。それも完全にはできないので、いまは手だてが見つからない状況にあります。