梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

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教育の根幹

不肖私は、教育というものに子どもと大人の区別はないという考えをもっている。教育を難しく考えたり語ったりする必要はなくて、それは人間の生き方の話のことだ。

社会の中で自分がどう生きていくかを、実践をしながら日々磨いていくものであって、人から知識として教わるものではない。頭の中でだけ理解するものではなくて、私たちの生活そのものが教育だ。

日常では失敗をするしトラブルにもなるし、迷惑を掛ければ当然他人から避難される。そこから修正していくことつまり自分で自分を教育するのであって、大人が子どもにするものとか他人に授けるものと決めつけてはいけない。

毎日の実生活において正しいことも間違ったことも様々行うのが人間であり、そこで学ばない者や改められない者もいるが、この世に根っからの悪党は存在しない。澄んだ方向へも淀んだ方向へも幼い頃の経験によって進んでいく。

親や周囲の大人の生き方がだらしなければ、そんな環境で育てられた子どもは悪くなってしまうかもしれない。人を憎み、悪さをし、社会を汚して歩く、これは親の教育の賜だろうか。悪い子になるよう、それが人間というものだと教え説いてきたのだろうか。

違う。大人の生き方から学んでいるのだ。生きるもの全ては自発的に身と心を形成していく。誰が何をしなくても勝手に成長していくものだ。外界の情報を取り入れて自分を育てている。それが右に行くか左に行くか、真ん中を進むかだけのことだ。

だから教育は施すものではなく、訓練させるのでもなく、私自身が日々心がけて生きること、ただそれだけ。大人も子供も関係なく、いつも謙虚に学んでいる人はいるし、反省もし行動を改めることもする。いや大人こそ、子供に正しい生き方を示す重責がある。

大人が子供みたいな未熟な言動でいて、何を偉そうに規範や正義を語れるものか。自分はだらしなくして、子供にだけは正しく生きろと言っている。自分が学ばずに子供にだけ勉強しろと言えるか、自分は寝坊して子供には学校へ遅刻するなと言えるか。

まず大人が襟を正さなくてはいけない。

それは学問のように規定・基準として覚え込ませるよりも、絶対の価値を持っていると私は確信している。だから食事の節制もするし、お金の使い方を考えるし、新しいことを勉強するし、大変でも真剣に生きようと努めている。

大人がせめて出来ることは、自ら模範や手本を示すことくらいだと思っている。注意したり説教しているように見えて、自分の考えと意見を伝えているに過ぎない。あとはどう決めて行動していくか、子供次第であり本人の生きることだ。

私たち大人はもう一度改めて自分の教育を行う必要がある。教育とか躾というと大人が子供に授けるものと決めつけているが、本来は自分で実践し学んでいくものだ。だから大人もここからさらに勉強していこう。

人生の先でも後でも、大人も子供も一切関係なく、すべての「私」が一緒に学んでいくことを提案したい。