梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

思いきって肩の荷を下ろしませんか

 物事は自分発信であって、人に動かされるものじゃない。しかしトレーニングコーチの立場から関わって実感することは、あまりにも自分の足を使わないコーチ任せの選手が多いということだ。

 でもきっとそれは、私たち大人が子供の存在を大事にするあまり、ちやほやしているからだろう。

 子供の数が少なければ、その価値が上がり、過大に大切にされ、いつも物事は大人から投げかけられる。子供が投げかけたものに大人が応えるのではなく、大人から発信して子供が応じる関係が作られる。〇〇ちゃんあれはどう?これはどう?と、なんだって子供よりも先に大人が提案したり誘ったり伺いを立てている。

 進学すら親が決めるそうだ。だから子供は自分からは動かない。今の子は、人から駆り立てられてはじめて頑張り出すのだ。

 自分の人生を頑張ること充実させることを、他人に委ねている子供は多い。あまりにもベタベタ近づき手を掛け過ぎたがゆえに、自分からは動かない子が増えた。

 伸ばそうとしない、直そうとしない、新しくしていこうとしない、今自分が立っている場所からまったく動こうとしない。人から言われなければ、やらされなければずっと同じ自分のまま、その場にいつまでも居続ける。

 部活動でも、子供が頑張らなくてコーチが必死に頑張っている。頑張らせなければ頑張らない。させなければやらない。選手よりコーチが疲れているという、逆さまが起きている。

 なぜ選手自身のアクセルを、コーチが踏んであげなくてはいけないのか。要請があったから動くのか、自分からは成長を作らないのか。現代は、大人が頑張って子供を伸ばしてあげる構図が、生活のあらゆる場面に蔓延している。

 子供は、大人からすり寄ってくることに慣れている。全部大人がしてくれる、気を回してくれると思っている。大人がそういう付き合い方をしたからだ。

 個人的な話をすると、私自身はあるときそれに気がついた。自分ばかりが必死になっていて、選手は平然と手を抜きデタラメにする。発奮させなければ、自らでは決して頑張らない。

 選手を自転車の後ろに乗せて、自分が懸命に漕いでいる感覚だった。選手が行くべき場所へ、コーチが彼らを運んでいる。

 もうほとほと疲れてしまった。なぜ俺がそいつの成功を作ってやらなければいけないのか....。本人はその気もなく頑張ることもしないのに。アホらしくなって、自転車を降りた。

 しゃかりきにやったって、自分が疲弊するだけだ。もしそれで子供がある程度の成功を掴んだとしても、作ってあげたのであって本人たちの力じゃない。こいつらの成功を、この先もずっと俺が作っていかなきゃいけないのか。自分だけくたびれるのは本意じゃない、と。

 もし私がそれを続けてしまえば、子供たちはずっと大人に引っ張られて動くことになる。人に成功を作ってもらい、大人から至れり尽くせり気にかけてもらう生き方から抜け出すことができない。

 子供を変えるには、まず大人から変わることだと思った。すり寄るのをやめて、ほっぽらかしておく。作ってあげない、手を貸してあげない。成功も失敗も本人が作るものだ。

 親御さんやコーチの皆さんには、一度ちょっと腰を下ろして休んでもらいたいと思う。子供自身の生きる道を、大人がおんぶして運んであげるのはやめにしませんか?

 大人がベタベタしたり気遣ってあげるのをやめれば、子供は動き出す。その場にいても何もこないので、きっと自分から求めはじめるだろう。

 今の大人は、子供に対して頑張り過ぎている。大人がそれをやめれば、歪んだ世界がもと通りになるはずだ。自ら躍動する子供を蘇らせよう。