梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

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体育会系にイエスマンなどいない

▼体育会的な空気、イエスマン育てる危険性 為末大さん:朝日新聞デジタル

https://www.facebook.com/sports.instructor.support/posts/1720926221263556?pnref=story

 ネット新聞の記事に為末大さんの持論が載っていました。詳しくはリンクなどをお読みください。fbでは特定非営利活動法人スポーツ指導者支援協会さんが全文を掲載しています。見られない方のために、画面を保存したので、それを添付いたします(一番下)。

 内容は、体育会はある当時には大変に重宝されていたが、下手をするとイエスとしか言えない人間を育ててしまうので現代では危うい、といった主旨でした。文面そのままではない、為末さんが伝えたい意図が私にはよく理解できました。

 体育会イコール根性論、厳しい上下関係(主従関係)と位置づけられています。さらにここ最近は体罰についてのニュースが多く、体育会系の世界は上からの「強制・圧制」のような印象を持たれているのだと思います。それを毎日繰り返すうちにイエスとしか言えない人間を作ってしまうと、為末さんも懸念されているのではないでしょうか。

 その通りだと思います。現実的に人間社会では、立場や力で上に立つ者が弱い者を押さえつけて従わせることは往々にしてあり、人間のみならず自然界の法則のようなものでもあります。影響が強ければ、徐々に擦り込まれていくことは間違いありません。

 その上で客観的事実として申し上げれば、体育会系でイエスマンなど育ちません。

 たかだか放課後の部活動で、人間は作られない。24時間でクラブの時間はどのくらいですか。わずか2〜3時間です。長くてプラス1時間。生活すべてをコーチの顔色気にしてやっているんですか?そんなことはあり得ません。

 まずは家庭での時間、そして学校生活はクラス、友達、授業、行事。これらが主体です。イエスマンは、ここから生まれています。

 辛い部活動の鍛練から出来上がるのではなく、日々の何気ない生活から人格は作られていくのです。リラックスして気楽に過ごしている時間には、何も起こっていないと安易に決めていませんか。中身の濃さなどは関係ありません。すべては人間関係から生まれています。

 そうではなく、多く時間を使っている環境の中で、少しずつ少しずつ自分の骨格ができるのであって、私たちの生活の主はどこにあるのかをきちんと見る必要があります。

 ものを言えず媚びへつらってぺこぺこするような大人になってしまったのなら、生活の基盤にその原因があります。目の前の物事を自分の頭で考え決めることをしないのなら、そんな人間を作ってしまったのは日常の大半を占める家庭と学校に原因があるのです。

 生きる事とスポーツをする事は、まったく別のものです。生きることの中にスポーツという活動を持っているのであり、スポーツもあなたの生き方によって存在価値が決まるのです。その逆ではありません。あなたという個性的な人格の備わった人間がいて、まず“あなた”があって、その人がスポーツ(部活動)をしています。

 部活動があってもなくても、あなたという人間は主とする日常生活から育まれていきます。イエスマンを生んでしまうのは、私たちが接する人間関係すべてに由来しているということは、よく考える必要があります。

(2) 特定非営利活動法人スポーツ指導者支援協会 - 投稿.pdf