梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

あゝ...なんという惨状

 今回の練習では、半分失敗したなと悔やみました。選手たちがまるで気を入れず、手を抜いてトレーニングをしていました。もはやトレーニング(=鍛える)では無くなっています。

 じつは半分泳がせていることも、裏ではありました。一番良きタイミングでメスを入れられたらと、知りつつもそのままにしていたのは事実です。

 後悔先に立たずで、現状を目の当たりにするとやっぱりもっと早くに手を打てばよかったかなと、頭を抱えます。そのくらいひどいものでした。

 しかし代替わりをしたのを機に、怠惰な行動を全部一掃していきます。フルパワーで換気扇を回して総入れ替えします。

 当然のことですが、体力づくりは運動強度が高くなければ向上していきません。耐えられない強度に耐えられるようになる、これが体力向上ですから、常に強い負荷を体に掛ける必要があります。それがトレーニングというものです。

 選手たちは精神的にも肉体的にもストレスを受けることを嫌い、スクワットはしゃがまない、教えた股関節の開きや背中の姿勢などまるで無視、ベンチの重量はいっこうに伸ばさない、休む時間が多い、とすべてが手抜きになっています。

 それが積もり積もってもう雰囲気・空気まで淀んでいて、完全に気を緩ませデタラメをしています。私の目の前でも平気でそうであるから、おそらく無意識です。気がついていないというのが、何よりもまずい。そして自らが情けない。そこまで崩してしまったので、半分悔やんでいるというわけです。だから全換気します。

 ケガ人が絶えなかったりすぐ練習を休む状況は、ここにも一端があると考えます。一端どころか大いにあります。簡単に楽な方へ流れていくロクデナシ根性は、まずトレーニングの甘さに原因があると痛感致しました。

 頑張らない者、全力で取り組まない者は体力が上がりません。それがどんな秀逸なプログラムであっても。トレーニング負荷を強くするのは、内容に因るのではなくて、自分でそうするかどうかです。

 弱くやろうとすればいくらでも抜けます。強度・負荷などというのは、本人のさじ加減ひとつなんです。やはり私たちコーチのするべき役割は、情報発信よりも、心がけや心構え、考え方や生き方というものを問いかけていくことだと改めて自覚しました。

 指導者の存在意義、とくに私たちが目指すところのコーチ像を、もっと探究しなければいけませんね。