梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

子供をコントロールする大人たち

 躍動感や行動力、自由度というのを、今の日本の子供達にあまり感じない。

 自分でなりたいようになっていって、進みたいほうに進んでいくのが自然な人間個人の姿だと思うが、運動部の活発だと思われる子たちにおいてすら、それがなく人に引っ張っていってもらうのを待っている。

 待っているのではないのかもしれない。そういうものだというふうに、思い込まされてきたように思う。

 自分から発する前に、あれはこれはと全部親から投げ掛けられる。親があまりにも子供をかまい、何事かを提案する。そんな日常で育ってきて、幼稚園や学校へ通い出してからも、先生からあれこれ気を回され心配してくれ、落ちこぼれないように正しい方向へ案内してくれる。

 問題が起きることを怖れて、多くの決まり事や規制を敷かれ「これをしなさい」「これならやってもいいよ」と初めから決めつけられたら……。

 自分でしたいことをしたいようにできない窮屈を、子供達から感じる。

 子供自身は窮屈に感じていないかもしれない。初めからそう育てられてきたから。大人に言われたことをする。指示されてから動く。人に引っ張っていってもらう。

 自分でチャレンジして、失敗して打ちのめされて、鍛えて工夫もして自分の力でクリアして、そうして自らの人生は磨かれていく。自分の成長成功は、自分で作るものだ。

 でも今の子は、あまり動かない。いやまったく動かない子もいる。大人が納得するように大人しくお利口にやっているでしょ?要求されているようにしてるでしょ?という顔をしている。

 だから他人が引っ張ってあげないと動かない。伸ばしてあげないと伸びてこない。コーチがしゃかりきに頑張らないと、チームは上がっていかないのだ。

 子供自身に自れを伸ばす力が備わっていなくて、それが私たち大人の生産物だと、私は思ってしまう。

 自分で考えさせない決めさせない責任とらせない、あらゆるものを準備してあげて、これにしなさい間違いないからと誘導する。それを物心つく頃からやって、さらに楽に安全に自分の人生進んでいくのだから、甘んじるだろう。

 はみ出すエネルギーを先手で押さえ込んで、自由度の低い人間を作っているような気がする。

 知恵をつけるには知識と経験が必要だ。それには自分で見よう聞こう感じようと動いて情報を入れ、それを考えやってみて実力をつけていくことで伸びていく。

 自分から「しよう」とするから手に入る。これが学ぶということだ。それが薄い。知識を与えようとする側がとにかく必至になって、当の本人は入れようという動きがまるでない。

 これは生まれてより植えつけられてきた習慣だと思う。すべてを決めてあげなければ出来ない、しない、そんな子供がたくさんいる。

 現状のまま幼いままでずっといくなら別に構わないが、人間生きていくには死ぬまで学び、少しずつ向上していかなくてはいけない。その力がないというのは、大変な問題なのだ。

 可愛いのはわかるが、少し放っておいたらどうか。大人中心に社会をつくり、その基準で世の中が動く。子供はそこで適応しようと様々に考える学ぶ、それで良いと思う。

 育てることを過剰に頑張りすぎていないか。じつは接客もどきになっていたり、コントロールしようとしていたり。かまい過ぎ、合わせ過ぎは子供にとって毒となる。

 大人が懸命に施すのをやめて、子供が頑張って学ぶ世界を取り戻そう。そうすればきっと躍動するし、子供たちは自由になれる。