梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

子供の姿は大人の生き様を映し出している

 練習中に選手が楽をしようと手を抜いてサボったり、そっぽ向いて話を聞いていなかったり、おしゃべりやあくびをかいたりして、私に怒られる。そうするとどういうわけか「梅原さんの機嫌を損ねてすみません」と言う。いや本当にそう言われる。

 なぜか。子供が普段から大人の機嫌ばかり見ているからだ。ものの分別や良し悪しじゃなく、大人の都合で怒られていると思っているのじゃないか。

 つまりは親・大人にモラルがないということだろう。社会的な礼儀やマナー、秩序を持っていないのだ。だから言うことが一貫しない。同じ事でときには怒り、ときには流し。子供にとっては大人の機嫌にしか映らない。

 これでは子供に物事の良し悪しという認識が育たないのではないか。子供にはまずいことをしたという反省の意思がない、だから「機嫌を損ねて」となる。

 以前からこの「機嫌を損ねて」という物言いに違和感があったのだが、謎が解けた気がした。私たち大人の社会に品が無くなった証拠だ。社会的に地位が高いとか低いとか、時代とか躾とか、そういう問題じゃない。個人の品格の問題であり、それによって作られた社会全体の秩序の話だ。

 こういうことはみっともない、情けない、世間に顔向けできない、ほんの数十年前まではそれが皆にあった。ひとつの統一した秩序があった。これは日本の学校教育の賜物だと思う。それをわかった上で、さらにはみ出したり背いたりしていた。ルール・約束・マナーを破っていると、少なからず自覚があった。

 今はない。お手本とする世界がないから、個人の思うがままに歩いている。好き勝手している。日本国民たるもの社会人たるもの、最低限こうあろうというプライドはまずない。

 だから大人は子育て・教育と言っても何を教えたらいいかわからないし、それどころか大人自らの生きる姿勢がだらしなくなっていて、それを子供に見られているので、子供たちもだらしなくなる。全ては大人の背中だ。大人の生き方がみっともないから、子供もみっともないことをする。

 そんな大人が、自分はだらしないくせして子供には「しつけ」と称してダメ出ししたり声を張り上げたりするけれど、ちゃんと子供はその純粋な眼で見ている。大人が率先して正しい姿勢を見せずして怒ったって、子供は大人の勝手な気分で腹を立てていると思うだろう。

 だから何をしても一切悪気がない。怒った側の機嫌という感覚だから、それをうまく転がす、気を逸らす手法に出るのかも知れない。

 ある人から聞いた話だが、高校のとくに女子では担任などへ極度にキャピキャピしてすり寄り、甘える行動があると聞いた。その行動の意図もなんとなく理解できる。自省できる心が育たないのだから、自分が正すと言うことではなく、うまく立ち回るとかやり込めることが正解になってしまう。

 自分に非があるなどとは考えない。だから何を経験しても成長せず、何度も同じちょんぼを繰り返す。つまり注意されても説教されてもつまみ出されても、全ては相手の都合という発想にしかなれないということだ。

 大人も子供もそんな意識の世の中で、何を教育だの躾だのほざいているのか。これはもう個人のモラル・良心と思う。一家庭のルール、規律がものを言う。

 今、家庭に品格があるか。「社会に出る人間たるもの」があるか。これは気難しい話じゃない。ごく一般的なモラルの話のはずだ。それすら現代の親は捨てていないか。だから子供が悪いのじゃない、私たち大人があまりにもだらしないのだ。

 そんなことを自戒しながら生徒の謝罪をたしなめる自分の姿に、心の中で天を仰ぐ。