梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

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成績優秀者のマネをしてはいけない

 選手の集まっているチームと、選手のいないチームと、これは当然作り方育て方が違ってくる。集まっているというのは、運動技能の高い、競技力の高い優秀な人材のことを指している。

 優秀な選手の集まっている(正確には集めている)チームと、そういうのがあまりいないチームでは、積むべきものが大きく異なる。そこが見えるかどうか。ある部分では諦めるべきは諦めて、身のあるチーム作りをする決断がいる。

 コーチングや指導法などのことは、お家事情で決まるのであって、まったく環境も条件も異なるものを重ね合わせることはできない。だから自分と立ち位置の違うチームを見て、やり方を真似ようとしてもダメだ。

 あるチームはシュートの入る選手がいないとなれば、練習して上達させようと考える。一般的な思考だと思う。

 しかしあるチームでは、シューターを連れて来ればいいと言う。シュート技術の高い選手を獲得するという意味だ。中高大学でもこのような発想のコーチはいる。それが前述の「集めている」チーム。

 無いものは育てて習得していくとするチームが、素材は揃えればいいとするチームの何を参考にできるというのか?

 しかし現実を度外視して、あのチームはここが素晴らしい、うちも同じようにと欲するコーチも少なくない。

 また、あるチームは運動能力が低いので、走り方から投げ方からバランスの取り方から基礎動作を練習しなければならない。

 一方で能力が高ければそんなものはする必要がないから、あとはパワー向上を図れば良い。それをあのチームは体が強い筋肉がすごいと憧れて、バキバキの肉体作りを強いれば、選手はまず潰れてしまうだろう。

 立っている場所が違うのだから、対抗しようとしたって同じものは手に入れられない。能力が下がるほど、単純な追い込み型はそぐわなくなっていく。ハードに課せば向上するものでもない。

 体力トレーニングひとつ取っても、人のを真似るのではなく自分で考えなければいけない。主たる課題が違うのだから。自分たちがすべきことと、他人様がすべきことは当然異なるので、誰かの何かよりも、まず自分の足下を見ることだ。

 盲目にスターチームの優れているところを羨んでも、それはあなたが手に入れるべき課題ではないし、おそらく手には入れられない。

 これは学校の教育論みたいな話に至っても同様だと思う。成績優秀な学校とフダ付きの学校と、教師は手を掛ける事が異なる。

 作法が備わっていて活気のある生徒の多いところと、無気力でだらしなく不躾な生徒の多いところ、間違いなく教師の指導法は変わる。どう育てるか、どう更生させるか矯正するか、手法は同じにはならない。教育法に良し悪しは無い。

 違うものを一括りに見てしまうと道を間違う。あそこはどうだここはこうだという観点で、コーチングだの教育だの論ずるのは、はっきり言って的を大きく外してしまうことになる。

 また分相応と言うか、優れている条件の良いチームを指標にしても、同じものはどれだけ尽力したところで決して手に入らない。

 だから欲張らず、自分には何が必要で何ができるのか、等身大でチャレンジしていくことが賢明だろう。無いものねだりせず、ありのままを受け入れ自分にでき得ることに集中するのみだ。