梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

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ご贔屓に

 僕が20代の新米デカならぬ新米トレーニングコーチだった頃、当時担当していた高校バスケットボール部で保護者の方にこう言われました。

「色々なチームを見ていると思いますが、とくにうちをご贔屓にお願いしますね」

 完全に言葉通りではないかもしれません。昔の話ですので。でも、うちをとくに贔屓にしてくれということを、確かに言われました。

 どのチームであるかどなたが言ったか、具体的なことはもちろん述べることができません。そのお父さんは同県において、体育の教諭であり教頭に就かれていらっしゃいました。ご本人もバスケットボール競技の方です。

 僕なりの考えと言いますか、率直な思いは、お手伝いしている全てのチームと選手について、全力で支えるつもりでいます。ですから他よりもこっちを手厚くということは、必然的に無くなります。というか出来なくなります。

 当時も、どのチームでも一所懸命にやりますという主旨の返事をした記憶があります。それを受けてさらに「その中でもとくにうちをよろしくお願いします」と返して来られました。

 ですから、できないんです。贔屓はしません。いやすることが不可能なんです。だって皆に全力ですから。力不足はわかっていますが、とにかく自分の目一杯フルスロットルで仕事していますので、それ以上は力を出せません。

 つまり贔屓というものは、僕のトレーニングに関しては存在しないのです。

 なぜ人は誰か何かと差を付けたがるのでしょうか。10が自分の目一杯であれば、僕はいつも10でやっています。11は出せません。出せるのなら全ての方に11でやります。それとも他を9とか8に下げてやれと、仰っているのでしょうか。

 他よりも力を入れてくれと言われても、もし仮にそのチームに特別扱い・特別待遇したとしても、だったら他の全てのチームにもそれをします。ご贔屓とはどのようなことでしょうか。30分延長とか?物品のサービスとか?得をしたいということでしょうか。もしそうするなら、全部のチームにします。でも、それで不利はありますか?

 周りよりもイイ思いをしたいという欲が、どうしても差を付けるという発想になってしまうのかもしれません。でも安心して下さい、あなたのチーム・選手にも別のチームと選手にも、僕の本気で取り組ませていただきます。それは誓います。

 だから贔屓は、実質的に僕にはしようと思っても出来ません。それは昔も今も同じです。もちろんこれからも。

 一緒に頑張りましょう。