梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

感性

 ある高校の先生と「感性」の話になりました。私がトレーニングの講習で選手たちに、動きの感覚として言葉ではうまく伝えられない、という事を言いました。それを聞いていた先生が、ある人の話を聞かせてくれました。

「感性というものは、言葉にした瞬間、感性ではなくなる」

 これはテニスの松岡修造さんも師事した行徳哲夫さんという方の言葉だそうです。

 全て理路整然として、言葉で確実に伝えられるなどということはあり得ません。表現が困難なことはたくさんあるのです。

 先ほどの行徳哲夫さんの言葉で申せば、言葉にした瞬間というより言葉に出来た瞬間、すなわち言葉で説明できるようなものは感性ではないし、言葉でまとめられる範囲内で生きることは、狭い世界に押し込まれていることなのだと、私はそんな意味で解釈しました。

 言葉に縛られることは、人間として自分の可能性を広げられず、狭い世界に閉じ籠もっている生き方なのかもしれません。

 これはスポーツの世界に於いても、顕著になってきています。やはり自ら求めて自ら探して、自分から何ものかを掴まんとする主体性が無ければ、物事は上達・発展してゆきません。

 技を習得しようと真剣になれば「こうかな?いやもっとこうかな?」と自分でひたすら探るはずです。物事は人に良くしてもらうものではなく、自分で磨くことで良くなっていくものです。

 昔NBA選手のプレイをビデオで何度も巻き戻し再生して観て、同じ動きを出来るように練習していました。幼い頃、柵を跳び越えたり天井に触ろうとジャンプしたり、困難な課題を強い意欲をもってチャレンジしていました。

 石を誰が一番遠くへ投げられるかとか、階段を何段飛ばして登れるかとか、それが自分より上のやつがいると負けん気で躍起になっていたものです。皆さんも同じ経験があると思います。本当に細かい事に興味を持って、熱心にやっていませんでしたか?

 それが子供にとっての「遊び」でしたね。これは知識(勉強)も同じで、物事は自分で力をつけていくことが本質なのです。そこには感性が働いています。自分だけのやり方で自分なりの見つけ方や覚え方で身についたもの、それは言葉では表せないと思います。

 知ろう探ろうとせず、ぼーっとしていては何も掴めません。他人が与えてくれる情報は、すべて言葉で説明できるものです。それはあなたのものではなく、その人の感覚であり、またそこで伝わってくるのは所詮、「言葉」程度の方法で表現でき得る範囲のものだけです。本質・核心は言葉で表せませんから、やはり外からは何も手に入れられないということです。

 スポーツで伸びる選手は、外の情報を自分で思考し、処理して、最終的に自分オリジナルのものを作ります。それはこの世に一つだけ、本人だけのものです。そこの回路は絶対に必要というか、生命線のようなものだと思うのです。

 自分で手にした唯一のもの、それが「感性」だと私は理解しています。