梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

声と生き方は通ずるものだと思います

声は気持ちです。「やったー!」「ヨッシャー!」と得点を取ったりすれば思わず出る歓喜の声。

もしくは「うるあああぁ!」とか「セイ!セイ!」と言語にならない力をふり絞るときの声。ウエイトトレーニングをしたり、武道の稽古の場面であったり。想像できますよね。

その発するものには、明確に精神の様子が見えます。誰が聞いてもその人の心の奥が感じられるでしょう。

気持ちの表れていない声は唯の音です。練習中や試合において、作ってその声を出そうとしても決して真似できません。だから心がなくタテマエだけの声も、どれだけ大きな声で似せたつもりでいても、聞いた人にはわかります。

意図的に出そうと思ったって絶対に出せない声の感情。なぜ私たちはその声が出ないのかというと? 出す必要がないからです。

気迫ある声など出ないような、気迫ない練習をしているのです。それが全力じゃない本気じゃない真剣じゃないものだから、取り繕った声しか出ない。シンプルにそういうことです。

やはり意志のないところに道は拓かれません。己を持つことは、もっとも貴重で、人間の根幹で、でもこの時代では苦しいものです。世間に指し示されたように生きることは、己の意志を無くすことです。

どうぞ「周りが」ではなくて、あなたの考えで自分の行動を決めてください。そうすれば必ずやる気も出るし根性もすわるし継続性も育ちます。自省もするようになるんです。

自分で踏んだ一歩だから。

日本の教育の悪しき体制です。模範・モデルを作って、それに倣わせようとする。こういう振る舞いをすることが世の中で善しとされる人間だよと、本質でなく型にはめようとします。大量生産のマネキンのようです。

本当は、もっとシンプルに心で話し心で理解し、また決まりは決まりとルールは厳格にするといいのです。あとは生きていくなかで、本人が考えて自分の歩き方でいく。生き方を社会が決めたり、大人が誘導してはいけません。

自分で決める生き方で様々を経験したら、成功も失敗も、良事も悪事も、どちらであっても物事の受け止め方がきっと変わります。

だからこそ、いま話がズレたようで繋がっていますが、もとに戻すと、うわべで真面目や努力みたいなものを表現してみても、自分の気づかぬところでちゃんとあなたの生き方は出ていますよと。おもてにバッチリ表現されているんです。

本気で鍛練していればそれが見えます。怠けてやっていればそれが見えます。自分の人生は、作って外に見せるためではないでしょう? それが何になるのですか。

あなた自身に返ってくるものですから、自分の行動が演技なのか本気なのか、意志を育ててほしいと思うのです。どのような生き方であっても、自分で進めば必ず道は拓けます。

そうしたら必死に鍛練するようになるし、自然と良い声が体育館中に響くことでしょう。