梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

要求された100回よりあなたが挑んだ50回

 やり切ったとか追い込んだとか、自分が全力で取り組み実りのある鍛練をしたと思えるのはどういう場合でしょうか。どのようなときに良いトレーニングができた、今日は頑張ったと、素直に実感することができますか?

 たとえば腹筋をします。10回より100回のほうがきついですよね。当然です。でも體への負荷というのは回数つまり量だけで決まるわけではありません。

 バーベルを担いでスクワットをします。これも数が多ければもちろんハードですが、たった10回でもそれが目一杯であるような重量のバーベルを担いでいるのであれば、それはまた違った良いストレスが體にかけられます。

 それから先ほどの腹筋に話を戻せば、たとえば1種類の腹筋メニューに縛らず、3つ4つの動きの違う腹筋運動を立て続けに10回ずつおこなうとします。これだって素晴らしい刺激が得られます。数だけ見れば40回ですが、大変にきついトレーニングとなります。

 自分を鍛え上げるトレーニングとはどういうものなのか。もっと広い観点で捉えるならば、これではダメだ、もっとやるんだ、まだまだ頑張るぞと、本人が真っ直ぐに挑もうとするとき、素晴らしいトレーニングは自ずと出来るものです。

 それは先ほどの100回だの10回だのということに限ったことではなくて。トレーニングで掴もうとする能力は筋肉・筋力だけじゃなく、良い姿勢の獲得や、バランス力の習得、上手な體の使い方など様々にあるわけです。

 それらを丹念に注意深く実践することも、とてつもない労力であり疲労が重なります。具体的で明確な鍛練の内容があり、それを体得しようと真剣に取り組めば少しずつでも必ず良くなっていくものです。

 何事でも自分から熱心におこなうアスリートは限りなく理想へ近づいていくでしょう。自分の予想すら超えて上達していくものです。

 つまり何をするにせよ、それは自分の行動如何だということです。トレーニングの量が多いからハードワークとか自分はしっかりトレーニングをしているという発想は間違っています。

 10回を3セットだって別に構いません。それが、最も限界に近い重量に設定したり、スピードの遅速を作ったり、動作を目一杯大きくしたり、自分の加減で頑張れることはいくつでもあります。

 でもそれを意図的に手抜きして、デタラメな動作で流したり重量をいつまでも軽いままにしていたり、怠けている自分自身がいます。自分からは目一杯の全力で取り組まないから、しょうがなく桁外れな回数を作って、否が応でも追い込むしかないメニューになっていたりする。

 10回20回でも構わないところを、50回100回と強制的にハードワークを作るしかないような状況は、これっぽっちも有意義ではありません。自分のサボりを排除するためのハードワークならば、いくら取り組んでも中身も薄いし成果もないし、自分の充実感もまったく無いでしょう。

 10回を11回できるようにしよう、50kgを52.5kgにしよう、この崩れる体勢をしっかりキープできるようにしよう、もっと正しく大きく刺激が入るように動作や可動域を徹底しよう、ゆっくり(または素早く)動作しよう、そうやって丹念にフルパワーで臨めば誰だって充実感を得ることができ、大きな成果成長を掴むことが出来ます。間違いなく出来ます。

 やり切ったと心から思えるのは、自らがそう行動しているかどうか、そこに尽きると思うのです。本質は人にやれと言われた100回じゃなく、自分でもう一回もう一回と少しずつ挑んで伸ばしていった先の100回なのであり、真にあなたの力を実らせるのです。

 追い込みとか全力とかを人から作ってもらっているうちは、なに一つ良くなりません。自らすることが唯一つの“生きた追い込み”であると、私は確信しています。