梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

宝のもちぐされ

 能力が身についても、使えなければしょうがない。きつい走り込みをして持久力はついたけれど、それが試合で全く見られないのはどうしてだろう。「あのチームはスタミナがあるな」なんてひとつも言われない。

 筋肉いっぱいつけてマッチョになったって、その成果が試合で見られるかと言えば、ノーだ。コンタクトの強さパワフルさなど、微塵も感じない。体格にものを言わせた試合なんてまるで出来ていない。

 宝の持ち腐れだ。

 持っている身体的な才能を如何に発揮するのか、それには知恵が必要となる。つまり常日頃から考えることをしているかどうか。自分で思考を巡らせる習慣のない者は成長しない。

 どれだけスタミナがあったって、どれだけパワーがあったって、最後それらは「技」に変えなくてはいけない。どう活かすか武器とできるか、すべては「技」である。

 技は探究することで身につくもの。感じ、考え、練ることをしない者に技は身につかない。漠然としている取り組みでは、たとえ身体的な体力要素は備わったとしても、使えない。

 伸びていく人は能力の使い方に自分で気がついていくが、伸びない人は気づけない。どうして気がつけないか。やっぱり思考していないからだ。

 昨日の景色と今日の景色は違うように、同じシュートでも同じドリブルでも昨日と今日は違う。昨日のスクワットと今日のスクワットは違うのだ。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」

方丈記

 しかしそれは常に思考しているから見え方が変わるのであって、自分で探究していない者にはいつも同じにしか見えない。

 疑問を持ち、試したり修正したりする。それらがあるからさらに色々な事に自ら気がつくことができ、遠回りしたとしても自分で自分を育てていける。

 ここはもう10か0かだ。途中はない。

 自らを育てていける者そうでない者、真っ二つ。

 これを「自助力」と言ったりするが、それが無くては能力を開花させることなど出来ないと常々思うのだ。すべては自分次第。