梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

君はエキストラじゃない

 最近練習をしていて思うのが、そこに存在がない、その場所に居ないような空気感がある、それを非常に多くの指導先で感じています。選手たちとあれやこれやと取り組んでいて、どうも内容に深みが出てこないというか、熟していかない、この平べったさ薄さの感じは何なのだろうか。大変反省の致すところです。

 率直な印象としては、選手たちには自分がないというか、周囲に合わせることばかりで、個になってものを考えたり実践したりしていないように見えます。

 私が身体のことについて詳しく話していても、それを自分の事として聞いていないような、ただ集まって全員が話を聞いているという「型」「雰囲気」「見かけ」というか、まず自分がど真ん中にいないんですね。

 主役になっていないというのは、例えば指示待ちだったり、誰かが動いてから後ろにくっついていくだったり、言葉で表現した事のみしか捉えなかったりなど、とにかく浅く広がりもなく、うわの空というのか自分のことではないような雰囲気で練習をしています。

 それが一人二人ではなくて、多くの人がその場所にいない空気を出しています。はみ出さないように間違えないように、道を指し示して従わせる初等教育がそうさせているのでしょうか。僕には分かりません。

 でも確かなことは、今の若い世代だけじゃなく現代社会は、この日本全体として、周囲の動向に合わせるばかりで自分で決めて行動を起こしません。トレーニングの講習をしていても、自分の身体を鍛える時間なのに、人任せで全然自分の身に入っていません。

 サボっていたり、頭がボーッとしていたり、眠くてウトウトしているわけではないんです。黙って見て聞いて、それはしているのですが、結局自分個人で考える習慣を持っていないために、最後はなんとなく周囲を見渡して大体の感じで真似をする、合わせる。

 その場しのぎというか、薄っぺらい取り組みで終わってしまいます。でも本当に、本人が気を抜いているわけではないのです。

 横ならえ、同調、何をするのもみんなで一緒の生き方をそろそろ変えていきませんか。

 自分の考えがなく人に合わせる真似る、常に何でもその場を取り繕って誤魔化す。そんな習慣が身についてしまったら、充実した自分の人生など創れるはずもありません。誰一人として関心を寄せない無責任な社会ができてしまいませんか。

 たくさん色んなことを「経験」はするけれども、何をやっても身にならず、見識も広がらず、すべてが通り過ぎるだけの「糧」のない人生を、何の疑問もなく生きる若者を育てていいのですか。

 子供たちを見ていると、見せかけや歩調あわせがもう本当に習慣・クセになっています。授業でも仕事でも遊びでも部活でも、全体に合わせてやり過ごすばかりの生き方........。熱心という言葉はすでに死語なのか。

 自分の人生は自分だけしか生きられません。誰かが作ってくれることはなく、また代わりに生きてくれることもありません。バスケットボールの神様マイケル・ジョーダンがある本でこんなことを語っていました(言葉の通りではありません)。

「僕は自分の決めた道を進みたい。他人は気楽に見ていればいいが、僕はそれを生きなくてはいけない」

 私たちの今見ている道は、すべて自分だけで乗り越えていく人生です。それは自分のためだけに生きるとか、自由奔放無責任に勝手をするという意味ではもちろんなく、たった一人の主人公として自分で作り上げる人生であってもらいたいのです。

 なんとなく、何事も無く毎日を過ごす。今日もまた今日も、とくに何も蓄えることのない通り過ぎるだけの人生は、楽しくないでしょう。それは自分がそうしているのですよ。薄く浅く一日をスルーしているのです。

 これはあなたの人生、もっと思考をもって今を未来を歩きませんか。もう一度、書いておきます。

「僕は自分の決めた道を進みたい。他人は気楽に見ていればいいが、僕はそれを生きなくてはいけない」by マイケル・ジョーダン

 たった一度のキミの今日を大切に生きよう。

※ちょっと気難しくて堅い内容でしたが、以前から書き溜めていたものを少しずつ載せていきたいと思っています