梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

郷里にて思わされたこと

8月7日が立秋で、そこから2週間ほどが過ぎた。今年は10月くらいまで暑い、と見立てる人もいるようだが、盆から立て続けに台風が日本列島を襲い、今のところ暑さ涼しさが行ったり来たりしている。

さて最近発信が著しく少なくなっていると、自分でも自覚はしている。別に引きこもったりしているわけじゃない。仕事も普段通り全国を駆けずり回っている。ただ、迷いというのか戸惑いというのか、どうも二の足を踏んだようになっている。

まずここ最近の私の活動についてまとめておこう。

6月下旬から7月頭にかけて、多くの中学や高校では期末テストがある。それが終わると同時に怒濤のスケジュールで全国を廻った。

29日まではそれをして、30日からは広島で開催される全国高校総体の視察のため現地入り。8月2日まで観て、そのまま福島県会津市へトレーニング合宿に向かう。

その後も9日までトレーニング指導に廻り、8月10日から8日間の休暇を取って家族との時間を過ごした。18日からはまた各チームを廻ってトレーニングの定期コーチをしている。

今日はこれから金沢へ出張し、1泊2日で帰って翌日に新潟の佐渡島へ行く。いずれも高校バスケ部のトレーニング指導である。

特段いつもとなんら変わらない。昨年もその前も、いつもこの時期はスケジュールが詰まるし、違いはない。

4年に一度のオリンピックだって、仕事や家族の時間の最中でもTVを観れることもあったし、日本選手の活躍に何度もガッツポーズをした。甲子園では郷里の北海高校が準優勝をしてくれた。これも嬉しかった。

何も変わらない、いやスポーツ盛り沢山でいつもより楽しんでいるくらいの、まったく普段通りなのだが、心の片隅がどうも冴えない。

悩みとか不安とかそういうことじゃない。辛いことがあったわけでもない。ただ自分の活動について、憂慮する部分があり、それがこの夏にさらに強くなっている。

人の体力とは何か、トレーニングとは何か、科学的とか最先端て何なのだろうか。欧米ではどうだとかNBAがこうやっているとか、さも進化や発展を賑わせつつ、片一方で超文明化した現代における人間の体力は、恐ろしく弱くなっている。私たち人の体力(身体機能)は、これまでもこれからも、著しく落ち続けていく。

だから私は、そこにあまり価値を見出だせなくなってきているのかもしれない。この大きな矛盾に薄々は気づきながら、盆に故郷北海道へ帰省した際に、はっきりとそれを実感した。

頂点を見れば世界記録はどんどん破られている。しかしスポーツ・運動はトップ1%のためにあるわけじゃない。運動科学の発展だってそうだ。多くの日本の子供たちを見れば、理論や道具の素晴らしい進歩は、彼らの生きるための体力にまったく貢献していない。

転んだときに手を着けない、足の指が曲げられない、ひねることは王子でも地面に置いてあるサッカーボールを空振りしてしまう、そんな惨状でなにをハイテクだ最先端だと言っているのだろう。半分嘆きに変わってしまう。

衰えた分の学問発展なのか。データ分析や動作解析、育成システム、これらは人が弱体化したのをカバーするために作られたものなのか。もちろん違う。

しかし生きていくなかで養われる基礎体力の低下という根っこには手をつけず、ただいたずらに流行りものでトレーニングの進化を謳うことに、私自身が意義を見つけられなくなっていることは、正直な心境である。

いくら新しい方法を見つけても、子供たちの体力ベースは下がっていくばかり。暖簾に腕押しか。

ここからの道筋は、まだ見えていない。