梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

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褒めて伸ばすをど真ん中から考える

 教育の論争において「褒めて伸ばす」ということが盛んに叫ばれていますね。体罰とかスパルタで起こる問題がメディアに取り上げられ、また我が子と人間関係を築けない家庭が増えて親が悩むなど、様々な社会現象がこのホメ教育というものを作り上げているように思います。

 TVでは学者が、ネットのコラムではセラピストが、セミナーでは教育コンサルタントが、しきりに“褒める”を熱弁しています。スパルタを断罪してその対極に置く“褒める”は、それだけで必然的に良いもの、正義として扱われることになりますが、僕はこれに異論があります。

 もっと真っ直ぐに「ホメ教育」を考えてみませんか。スパルタが嫌われるようになった今のご時世に乗っかって、そこに当てはめて“褒める”を持ってくるのではなく、褒めるということそのものをど真ん中から見ませんか。もちろん学者や教育コンサルタントが、そのような安易な手法でノウハウを口にしているとは申しませんが。

 褒めるってなんですか?

 褒めたら人は伸びるんでしょうか。褒めないと伸びないんですか。褒める教育なるものは、明らかに問題の本質を外した耳障りの良い方便です。褒めると伸びる? じゃあ何もやっていない出来てもいない子供に、理由もなくホメ言葉を掛けろと言うのでしょうか。人が何かちょっと上手くいったとき、他者からホメ言葉を貰わないとやる気がしぼむんですか。

 褒める言葉って「えらいぞ」「すごいね」「よくやった」「よしよし」「いいぞ」ごく簡潔に言えばこんな感じですか。「まあ○○ちゃんすごいじゃない!えらいねぇ!良い子だねぇ!」って言ってあげると良いということですよね。

 これって、子供をバカにしていませんか?

 ちゃんと勉強されて教育や心の問題に精通している人なら、どのように声かけをするのか子供と関わるべきかを解っているでしょう。ただ大事なのは、一般的になんとなく「褒めて伸ばす」を耳にしている僕たち多くの国民にとっては、その本質を捉えられないから、当然上の言葉のような解釈をしてしまいませんか?

 こんな馬鹿げた声かけが子供のやる気を促進し、脳がより発達していくなんて、誰がいったい本気で信じますか。しかし世の中では褒める教育と言われればこういうことだろうと、世間に浸透しているわけですね。

 学者や専門家がきちんと伝えないから、浅く安易に広まっていくんです。この意味で専門家たちの罪は大きいと言えます。お姉キャラの教育評論家なんてなんぼのもんじゃいです。いや誰が嫌いとかではないですよ。でもそういう方々の責任は大きいということ。僕たちは自分の頭でしっかりと考えることが大切です。

 以前あるバラエティ番組で、教育・子育てについて専門家たちが得意げに話をしていました。脳科学の権威という人が、ゲストの子役(女性)に何か課題を出して、成功すると「おぉそうそう!よ~くできた!えらいねぇ、よしよし!」て、過剰なほど頭をすりすりと撫でていたのを覚えています。

 僕は内心「犬じゃないんだから....」と思いましたね。いくら子供だからってちょっとバカにしていませんか? 脳を語るその道のエキスパートも、実際に“褒める”を実践するとこうなるんです。

 じつはそこには続きがあって、その学者が女の子の頭を撫でてヨシヨシ!ってやろうしたら、女の子はぷいっと後ろを振り向き、足早に学者から離れて行ってしまったんです。たぶん嫌われたと思いますよ、あの学者。だってあからさまに取り繕った演技だったもんなぁ....

 本当に大人が過度にそんな演技をして子供は嬉しいんでしょうか。子供をペット扱いしていませんか? 中高生にもなる人間を幼児扱いしていませんか? それがホメ教育の本質というなら、断固違うと言い切ります。

 最近ペップトークというものに触れる機会があり、日本の提唱者である岩崎由純氏の講演を聴く機会がありました。スポーツ選手に勇気を持たせる最高の声かけについて話をされましたが、岩崎さんが途中「私がここまで一度も口にしていない言葉があります、お分かりですか?」と言われました。それは「褒める」のワードでした。

 岩崎さんは「物事の途中で褒めてはいけない、最後の最後、目標が成就したときにはじめて、ただ一度だけ褒めてあげてください」と仰っていました。私も同感です。しかもその褒める行為は、「褒めて伸ばす」でも何でもなく、他者から本人への純粋な“おめでとう”の気持ちなんですね。

 僕はトレーニングの指導中、基本的に褒めることはしません。それは相手が大人と変わらない高校生だからということではなく、中学生でも小学生でも、たとえ幼稚園の子でも一緒です。何かが上手くいったら、出来なかった事が出来るようになったら、誰でも嬉しいですよね。他者がそこに割入って褒めるなんて必要ないんじゃないかなァ。

 親や教師、スポーツのコーチの役割って、評価を下すところにあるのではなくて、火付け役だったりちょっと後ろから押してあげることだと思います。もちろん悪いことはきつく戒められますけどね。

 だから教育とか躾と言ったって、その全てを我々が引っ張っていこうとしてはいけないんです。教え過ぎ、手伝い過ぎ、コントロールしようとし過ぎるところに、そもそもの誤りがあるんではないでしょうか。

 つまりホメ“教育”というのがまず間違いで、何をしてもしなくても、子供は勝手に育っていくということを根っことして持たなくてはいけません。それを「褒めて伸ばす」と言うと、無理に取り繕った行動をしなくてはいけないみたいになってしまいます。

 難しく考える必要は何も無いと、僕自身は思います。褒めるというのは偉そうな物言いであり、見下した態度です。大人・上司の役割は、ランクづけや判定することでは決してありません。

 それからまた、人に信頼されるとか心が通じ合うという対人関係のテーマは、褒める云々とはまったく繋がりません。そこには人間同士の率直な表現のやり取りがあるだけです。厳しい言葉も、ときには大喧嘩も、決別も、どんな事もすべて意味のある行為であり、排除しようとする必要はありません。

 それを回避し、表向きに気分良くなれるようなものだけ並べて生きることは、とても健全とは思えませんし、ましてや正しいなどとは決して言えません。それをダシに使って対極に置いた“褒める”教育論は、果たして真っ直ぐに子供と向き合う行為と言えるでしょうか。

 ぜひ皆さんと考えていきたいテーマです。