梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

学校生活に燃えるものがあるか(1)〜将来ビジョンと主体性〜

 先日ある高校の先生に私からひとつの提言を致しました。

 学校現場から考える子供の「主体性」について、自分の実感を率直にお伝えし、中心にいらっしゃる先生たちのご意見も伺って、一緒に理解を深めようと思ったからです。

 練習終わりの体育教官室でいつものように話をしていました。その日の練習を振り返り、これまでの出来と、これからの課題、どうやったらチームが強くなっていくだろうかということを話し合っていました。

 そんな中で、ゴールまでの明確なステップアップのイメージというトピックが出ました。日本人にはあまり馴染みのないものです。自分の最後のゴール(目標)をはっきりとさせることが大事で、将来いくつになったらどんな事をする、何々を達成する、そういう目標の明確化をする必要があると。いわゆるビジョンですよね。その上で逆算し、何歳までに何をする、何歳になったときにはどうなると、最終目標へのステップを具体的に目の前に置きます。

 日本よりも海外の先進国では、個々の自立が強いからか、このように明確な将来目標を持っているアスリートが多いとも聞きます。

 例えば、自分は28歳のときにオリンピックがあるから、そこで金メダルを獲りたい。だから今13歳なので、高校へ入ったらインターハイで上位10番以内になって、大学では全国一番になり、海外に出て25歳までに世界選手権で銅メダル、オリンピック前までに世界ランク5位以内に入って、28歳で金メダルを獲る。

 こんなふうに自分がどの時期までにどんな課題をクリアするかということをはっきりと作り上げる作業は、大半の日本人には発想のないものでしょう。この理由は何かなと考えたときに、それは本人の「主体性」が消えているからじゃないかと思い至ったのです。

 自分の人生なのに自分で生きていない、自分で決めていない、自分は将来どうなるのか、どんな仕事に就きたいのか、どんな生活を送りたいのか、何を目指して今生きているのかが無くなっていないでしょうか。

 それを無くさせたのは大人や社会かもしれないと、感じる部分があります。部活動において、バスケットボール選手が、自分はどんなプレイを出来る選手になりたいのか、どこまでの成績を目指しているのか。この個人の欲するところからスポーツは始まっているはずです。「希望」や「期待感」ですね。

 でも実際は日々出された課題に対応しているだけだったりしないでしょうか? コーチから出された課題を処理するだけ。自分が何を取り組むのかではなく、出された宿題をやり終えなければという様子が見えます。くれるのを待つという習慣がついてしまっている気がするし、自らがどうなりたいではなく「貰ったものに答える」というような奇異な状況は、コーチと選手双方が考えなくてはいけない問題だと思います。

 コーチの立場で考えると、あまりにもこちらからの要求が多すぎる、将来を指し示しすぎる、道も作ってあげる、と自分を振り返っても様々思うところが出てきます。難しい要求を出して、厳しく指導をしているつもりになっていますが、結局は全部コーチから出してあげているわけです。だから考えない。

 これをトレーニングでも考え直して、関係の築き方を変えていくべきだろうと思います。今の2年生が最後の大会を迎えるのがいつで、だったら今はどのくらいになっているべきで、とか、そういうことを選手本人が自ずと意識することは重要なことです。とくに学校の授業や行事が本分ですから、それも考慮して、なかなか肉体強化に力を入れられない時期はいつであり、だからこの時期が貴重なトレーニング期だといった、計画性が生まれてほしい、本人に考えてほしいのです。

 そうじゃないと全部コーチが操作しなければいけません。スポーツ選手がすべて受け身な性格になってしまうことは、大げさじゃなく現実にいま起こっている問題なのです。

 幼い頃からの「もらい慣れ」のために、自ら欲しなくなっている子供の状況もあって、いつの間にかスポーツに主体性が無くなっていると強く実感しているところです。

 このことを学校現場から考えると、どんなことが見えてくるか。

 長くなるので、つづきは次回に。