梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

どうも腑に落ちない・・・(ちょっと書き足しました)

 PRO-ATHLETEでミーティングをしました。様々な議題の中でふと余談に入り、ネットで見た記事で、バイトで遅刻してきた学生を怒ったら反省するどころかふてくされるとか不機嫌になったりすることがあり、それは昨今の子供は学校でも家でも怒られる免疫が少ないからだと、そう書いてあるという話を一人のコーチが教えてくれました。そのときに、なぜ遅刻することが怒られるようなことなのかを、納得できるように説明できなければと、そのコーチは感じたそうです。

 この件に関してぼくの意見は少し異なりました。話を聞きながら感じた印象は、俺だってガキの頃に理屈を解説されてドヤされたことなんかないなぁ、と。たしかに説明のつくことを言わなければ注意したって誰も納得しません。でも今、大人のぼくたちが子供に説明ができないのは、我々自身がそうやってお叱りを受けてきていないからです。ぼくたちだって理解なんかできていなかったし、なぜ悪いかを具体的に紐解いたりなんかしていないでしょう。決められたルール・規則があって、集団に属する身であるからにはそこの決まりに従う。それに反すれば色々言われるし罰せられる。ただそれだけのことです。さらになぜ私たちの上の世代の親や先生が丁寧に理屈を説かなかったかと言えば、それもまた同じ理由だからではないかと思います。

 お店の運営を潤滑におこなうために一定の約束事を決めている、それを守って活動してもらうということは、社会において自然なことです。それは規則としても礼儀としても心情としても。一昔前には、それを少なからず親に育ててもらっていく過程で学んでいったから、“ルールは守るもの”と素直に捉えていたのではないでしょうか。

 だからわざわざ今おまえが怒られている理由は...なんて説明する必要なんてなかったのです。ルールを破る者もたくさんいたけど、それでもそれを大いに自覚しつつ敢えてハミ出していましたよね。現代は社会に刃向かっている昔の不良とか子供の背伸びとは様子がまったく違います。自覚をしていない。そこを考える必要はあると思いますよ。ただ、ぼくらだって理屈を説明されながら怒られていたわけではないし、もっと幼い頃は理解できないうちから怒られていたことだってありましたよね。だからそこは、規則は守れ、でいいとぼくは思います。

 あと、子供の事をなんでも細かく見過ぎていないでしょうか。一挙手一投足を気にして、あれは違うこれはできていないと、そんな重箱の隅を突くようにしてちょっとしたことを指摘して目くじらを立てなくてもいいんじゃないかとも思います。遅刻くらい、ばかもん!と一言で済ませば、もしくは帰りがけに次はちゃんと来いよって釘させばいいくらいの話だと思うけどなぁ。遅刻のロスで人手が足りなくて店が大変だったなら、なぜそれがいけないことなのか云々なんて言わなくたって、ちゃんと心に罪悪感わくと思いますよ。

 ちょっとぼくには、「納得できるような説明を」とか、「説得するかのように怒る」なんていうことが、不可思議に思えてすごく違和感があります。心の通じ合いや対立が人間関係なので、素直に気持ちをぶつけるって感じでいいでしょう。それがなかったら全部基準が「法律」になっちゃう。「契約内容」に載ってる載ってない、みたいなことになってしまいませんか?

それに理詰めで人を追い込むのっていうのは、聞く方はかえって責められているように感じないかなぁ・・・

どうも昨今はこういう問題について、自ずから複雑にしてしまっている嫌いがあるので、理屈よりも、もっとシンプルに良心で考えてほしい。