梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

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自分の頭で考える その四

 キミたちはコーチの話を聞くときに、自分の耳で聞いているだろうか。退屈とか無駄な話だからそもそも聞いていないというのならば、それはある意味で意思があると言えるかもしれない。ただそうじゃなくて、聞いている風を装っているが実際は言葉が脳に入ってきていないという人がいないか。聞いてはいる(つもりでいる)、でもいざ練習始め!となると、結局何をどうするのか、はてなマークの選手。キミはどうか。隣の者に「どうやるの?なにやるの?」と聞いていないか?みんながやっているのに合わせてやり過ごしで動いていないか?

 練習内容をコーチが全員の前で説明した。だからキミも自分の耳で聞いていたはずだ。でも率先して動けない。なぜか? 周りに合わせる、周りと同じ行動を取るという幼い頃からの間違った教育があり、そういう行為が身に染みついてしまっているからだ。だから人より先に行動を起こせない。必ず周りを見渡し、一緒かもしくは後から遅れて着いていこうとする。人の真似をすれば間違える心配がない。常に自分は後から動く側の人間。

 それだから人の話を聞かなくなる。耳に入っているかもしれないが頭には入らない。内容を理解して自分なりに解釈、整理する必要がないのだから。周りを模倣し続ける限りそうなる。

 これは「主体がない」ということを指す。自分であるが自分でなく、つまりキミはこの社会の中で「私」という位置から物事を考えることを、放棄していることを表しているのだ。

 チーム練習での自分の行動を今一度よく考えてみよう。多くの人数で同時に同じ練習をしていても、実質は一人一人が自分のスキルを高める練習をしているはずだ。でもその中には、漠然と前の人に続いてササッと曖昧にやり過ごしている選手が必ずいる。やる気がなくて意識してあえて怠慢をしているのならわかる。そうではなく真面目に練習しているのに、傍から見れば適当だなと思わざるを得ないような様子の選手がいる。

 これが私の問題提起したい「主体のないただの同調行動」をする選手たち、団体競技における危うさなんです。もう彼らは無意識、一所懸命やっているつもりでいる。でも現実は全体に合わせてただ模倣をして自分の番をこなしているだけであって、本来あるそこでの練習課題、どのような動きでとかこんな間合いタイミングの取り方でとか、それを手に入れようと鍛錬することは出来ていない。

 キミはどうか。「自分」が練習しているか、それとも操り人形か。もしそんなことを意識したことがないのなら、気をつけた方がよいかもしれない。鍛錬している者は自覚的にやっている。自分のしていることや今の状態を説明できる。何十人で練習していても、根本は自分の鍛錬であり、自分のすることに集中し意識を向けていることが、発達上達に繋がるのだから。

 さあ少しずつ個を持つための準備が出来てきただろうか。次回さらに考えてみたい。