梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

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自分の頭で考える その三

 ふたたび「個」を考えよう。自分は何をしたいのか、自分はどんな者になりたいのか。そのために自分は何をどう行動すれば良いのかしようと考えているのか。自分のことはすべて自分の頭で考えるようになろう。

 もちろん本人がどう成長するか、それが一番肝心なところだ。しかしそれに多かれ少なかれ影響を与えているのは周囲の環境である。チームの指導者、学校の先生、家庭内での親、そういった立場の私たちが、自分でも気づかぬうちに、ものを考えない自分の決断で行動できない子供を作ってしまっている危険性を考えてみたい。

 見学者が訪れるとすぐさまイスを出してきて「どうぞ座って下さい」という選手たち。何か飲まれますか?と聞いてくれるマネージャー。外に出ようとすると私の靴が玄関にビタッと揃っている。すごいなと最初は思った。でもそんな子たちが練習をすると、まるで融通が利かない。一から十まで全部、彼らの行動を指示してあげないと動けない。

 大体の練習の仕方を教えてあげて、あとの細々した事は自分たちで決めてやれば良いのに、何を準備して誰がどこに並んで順番はこうしてということまで言わなければならない。ウエイト・トレーニングをする際にも、誰が何の道具を用意するとか、終わったら次何をするかとか、そんな行動の一つ一つを全部こっちが決めてあげないと事が進まない。コーチの皆さん、そんなことってありませんか?

 何かを伝えたらなんでも「はい!」、なぜそういう事をしたと聞いても「はい!」。対話にならない。どう考える?と聞くと、予想通りの体の良い答えが返ってくる。完全に、私が正解と言うだろう答えを探して言っている。

 隣のコートでよくバレーボール部が大きな声を出して練習している。ずっと声を出している。途切れる間がないくらい。それはプラスなのだろうか。声を出すというかたちなのではないだろうか。私の練習でも同じことを感じる。心の中の思いが叫びとなって表れている本当の表現としての声と、ただの無味な音としての声。自分の行動に対して意味づけが出来ているか、もっと言えば自らの意志で声を出しているのかすら疑問に思えてしまう。

 これらは特異な例ではないはずだ。どこのスポーツ現場でもどの競技種目にでもあることだろう。これらをつくっているのは、私たちコーチであり、日常において子供を養う大人なのである。この時はこうすればよいと何でもかんでも予め決めてしまったり、事がうまく運ぶように一から十までお節介してしまうことが、自分で答えを見つける力を養えなくさせている。

 自分の意思と理由から起こる行動でなければ生きる力は育たないだろう。すべて他人が決めた行動にコントロールされているだけの人間が、どうやって未知なる自分の可能性に気づき、眠っている身体技能を輝かせていけるのだろうか。

 大人が手を差しのべ過ぎていること、気を回しすぎて子供自身で成長する過程を奪っていることを、少し考え直してみませんか?

 さあ、自分の頭で考える人間になるために、最後は選手自身が何をできるか。次回へ。