梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

自分の頭で考える その一

 団体競技の弱み。集団であるがゆえの危うさ、というものを知っている人は少ないかもしれない。おそらくほとんどの団体競技に属する人が意識していない盲点であり、しかし重大な自己成長の妨げとなっていることがある。

 それは「自分の頭で考える」ということだ。

 そんなのは個人の資質だと思う人が多いと思う。もちろんそれは否定しないが、日本の団体・集団行動というものに長く漬かっていくと、本当に大半の人が自分でも気づかぬうちに「合わせる」「着いていく」ということを身につけてしまう。

 それが個の成長を無くしていく。大きな流れに合わせること真似ることを優先して、いつしか意識がそっちばかりになってしまう。自分を意識し己を磨くことが、頭からポーンと弾かれてしまうのだ。やっているようでじつは自分を成長させようとしていない、自分のための練習になっていないということに、悲しいかな本人はまったく気がつかない。

 しかし自分というものをあまり意識しないのは日本人の特徴ではないだろうか。意識しないというのは、もっと正確に言うと「大事にしない、優先しない」ということだ。それが団体競技に属するとさらに強調されてしまう気がする。

 皆で一律の行動をするというのが、日本式の集団であり、真面目な日本人はちゃんと遵守しようとする。それを小学校どころか幼稚園や保育園でも垣間見る。揃えるところはきちっと揃える、それは良いと思う。しかし個を捨て去ってまで一律行動をする理由はない。一人であろうが集団であろうが、大事なところは「個」を大切にしているかどうかだ。個を磨かせない、個を奪う集団行動は危うい。私たちはそこに気がつかなきゃいけない。

 スポーツ現場でも、練習中の様子を見ると、いかに自分の成長を放棄して、ただ全体の行動に合わせているだけの選手が多いかがわかる。みんなで1つの練習、全体重視。だから選手も自分を磨くことより全体的なまとまりを気にして練習している。つまり心の底から自分へは真剣になっていないということだろう。

 ミスの無いように、目立たないように、あまり疲れないように、そんなことを平気でできる。なぜ? それは自分の成長は放棄して、なんとなくチーム全体として崩れず一段落することを考えているからじゃないだろうか。プレイで負けても悔しくないのは、いつまでも上達できなくても気にならないのは、自分を見捨てているからじゃないのか。

 でもその本人を避難する気にはなれない。昨今の日本の集団行動のあやまちには、そこがガンとして確実にあるのだ。はみ出さない、踏み外さない、全体の流れや色に倣う。そうしていれば平均から落っこちることはない。自分よりも全体に合わせることがスタンダード。それを日本の教育や社会は常としてきたところがある。

 見ていて「この選手は上手くなりたいんだな」と感じる選手はわかる。本当にわかる。気迫やオーラがほとばしっているのがありありと見えてくる。自分に集中している、自分に投資している。もちろん自分勝手という意味ではない。ちゃんと分をわきまえて練習している。でもとにかく自分に一所懸命だ。それを見ればコーチは応援したくなる。

 じつはこのことについて、本当に考えなくてはいけないのは私たち教える側だ。学校の先生、スポーツのコーチ、親 etc....そういうある意味指揮官の立場である人がそのことについてよく考えなくてはいけないと思う。

 私は自らの学びも含めそこに問題提起をしてみようと考えたので、それを次回書いてみたいと思う。みんなで考えましょう。