梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

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こだわりへのきっかけ探し

 前回「とことん」というタイトルの記事を書いた。こだわりを持とうという、僕から読んでくれている人への問題提起なのだけれど、このこだわりというものはいったいどこから生まれてくるのだろうか。どうやったらこだわりを持てるようになるか、なぜあの人にはこだわるものがあって、自分にはないのか。少し考えてみたい。

 僕は基本的にこだわりへの扉を開くきっかけは、「切実なる強烈な実体験」だと考えている。しかもどちらかというとマイナスの体験。ものすごく悔しい思いをしたとか、恥ずかしい経験をしたとか、生命の安全を脅かすような体験があったとか。なにかそういうときに半分寝ていた自分の「真剣に生きる」という感性が目覚めて、そのストレスから脱しようとすることの行動が「こだわる」に繋がっていくのじゃないかなと思う。

 このひとつの仮定が出るとすれば、反対側のプラスのきっかけというのも当然考えられるはずだ。何か強烈に心が高揚する成功体験をして、嬉しくて楽しくてはまっていくということ。もしくは仲間うちで何かに秀でている者がいて、その輝いている姿に憧れたりライバル心がメラメラと燃えてきて高い目標を持つようになるということもあるかもしれない。

 このプラスのきっかけにしても、根幹にあるのは「飢え」「不足」というものだ。見ることでも聞くことでも体験することでもなんでもいいが、強烈に自分の中で「飢え」が芽生え、追求する欲が出てくる。もっと良い成績が必要だ、あいつに勝ちたいなど、それがこだわりの正体でもあり、きっかけでもあると思う。

 自分の場合は、なぜ「食」の探究に目覚めたか。それは単純に體(からだ)の調子を崩したからだ。急に大きく崩れたのではなく、20代もっと言えば10代の頃から、胃腸をはじめ様々に体調の変化とご一緒してきた。それから今の歳になって、健康診断のデータであったり、また実感としてコンディションの悪さ、そしてそれを常に抱えながらの生活に大きなストレスを感じるようになり、そこから脱したいと素直に思ったことがことの始まりだ。

 さらに仕事柄、健康とか栄養というものの調査研究は必要で、ずっと以前から自分自身でも取り組んでいた。でも当時の僕が知る知識では、効果・結果はまるで見られなかった。その延長ということもあり、さらに実体験によるマイナスからの脱出の欲と重なり、自然と深く勉強するようになっていったのだ。

 結局のところ、人は自らが体験し身に染みて初めて、大切にすること成長をすることを学ぶのではないか。条件が良いとか環境が良いということは、その人間の「自らエネルギーを発するきっかけ」を削っているかもしれない。少なくとも現状に満足していれば積極的な行動は生まれないだろう。

 僕がfbなどでよく書く「試練」という言葉。生きる中で、大なり小なり試練があって、もしくは自らそれを無意識に作り出していて、それを添加剤にして乗り越えようというエネルギーが沸き、自然と成功とかゴール、結果というところを意識するようになるのが、こだわるという事にもリンクしていくのだろうと思う。

 いつもblogやfbで問題提起をしている「結果を求めること」「試練をつくれ」そういう話がここで繋がってくる。満たされていると何も出てこない。己の心底から、眠っているものはたくさんあるのに、いっこうに何の火種も見せない。とくに先ほども言った環境・条件というものは、生活の中で満たされていると人間は何もしなくなる(本当はできなくなるが正しいと思う)。

 こだわるという言葉は、囚われるとか執着するという見方もできるし、たしかにそういう側面もあると思う。あなたにとってこだわるとは何か。ぜひそうじゃなく、自分の核の部分から強く沸いてくる「突き詰めたい」というエネルギーを爆発させるという意味で、自分の人生に活力を与えてもらいたいと切に願う。