梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

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日本の繊細さ、日本の美しさ、そしてそこで生きる私たちが使う日本語がいかに素晴らしいのかということを、なぜかアメリカ人のケント・ギルバードさんが教えてくれています。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150325/dms1503251140002-n1.htm

世界の中でも高度な言語である日本語ということですが、それを普段使っている私たちは意識していません。でもこのように具体的に説明してくれると、なるほどそうかと理解することができます。

私はそもそも他言語を使えないので判断できませんが、他国語では表現できない日本の言葉の使い方というのが結構あるんだそうです。その分複雑であり難解とも言え、世界でも習得することが難しい言語の一つだそうです。そんなことを聞くと、自分は日本語をしっかり操れているのかなんて思ってしまいますよね。もっと日本語知らなきゃと。

それで、ふと感じたことがひとつあって。私が本なんかを出したりすると、おだてられて「お前は文章力がある」と言われたりします。自分としてはそこに違和感を持っていて、あまり素直に嬉しい気持ちになれません。これって、スポーツができるとか工作が得意とか、暗算がすごいみたいなのと同じで、何か “一芸がある” みたいな言い方ですけど、それはちょっと違うと思うんです。これこそケントさんのいう言語力で、表現する力なんじゃないのかなと。

別に文章力とか構成力みたいなことではなくて、ちゃんと母国語を使えているか、どれだけ多くの「語彙」を持っているか、そこだろうと思います。特別なスキルとかではないと思いますね。私にそんな能力があるとも思わない。人に何かを説明しようというときに、どんな言葉を使えるのか。その言葉を使ってどのような表現の仕方をするか。それがそのまま紙の上で文字になっているだけであって。

だから雑に言えば、あなた日本人だけど、日本語使えてる?という話だと思うんです。

私の仕事はスポーツトレーニングコーチです。運動指導の際に、感覚的なものを言葉でどう伝えるかの力は重要だと考えています。ある意味では言葉を巧みに使う仕事だと思います。身体で感じるものを言葉で表現しなければいけませんから、細かな、また複雑なニュアンスを相手に伝えられるように、もっと言語力を磨かなければいけません。

たとえば科学・製造・医療・農業・建築・工芸など、世の様々な分野において日本の技術力が高いのも、そういった難しい表現を言葉にできる日本語を持っているからなのかもしれませんね。なんでも「やばい」でしか表現できないような日本人ではいかんということです。

「かわいい」「イイ感じ」こんなような表現をよく聞くと思いますけど、そういう言い方でしか感情や現象を表現できない日本になってきている気がするのは私だけでしょうか。若者だけではありません、40,50代だってそんな人たくさんいます。ケントさんのコラムにあるように、いまの日本語は表現力の薄い言語になってきているかもしれない。

欧米にかぶれて高度な日本語がボキャブラリーを失っていく可能性があるとすれば、それはこれからの私たち日本人の歩み方次第でしょう。もうこれからは “日本が世界から影響を受ける” のではなくて、“世界に日本を伝えていく” 時代だと思います。

母国語すらまともに使えないのでは悲しいことです。世界を見る前に、自分の足もとを見ることが賢明かもしれません。