梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

流される幸せ

自分からなかなか夢を持てない人間はいる。積極的に希望のある未来を描いてゆけない人たち。今の世の中、「やる気」のスイッチがもはや壊れてしまっているような人はたくさんいる。それは大人になり社会人になってからとかの話じゃなく、子供でもそうだ。中学生高校生くらいの年頃でも、人から言われなければ何もせず欲も持たず、ただ漫然と毎日を過ごしていたりする。スポーツをしている子供でもそう。夢、目標、こうなりたい!、そんなものが見えない。

そういう人間をどうやってあげていくのか? 押しつけがどうの、自主性がどうのと言ったって、本当にその人は自分じゃ変われないのだから、そうしたらもうあとは誰か何かに引っ張られていくしかないと思う。人に流されていくことで人生の方向が変わる、他者の力で道筋を作ってもらう、それでも十分いいじゃないか。

私は流されるということは、ある意味良いことだと思っている。それは意志が弱いとか、自分が無いとか、他人に振り回されていると、悪い印象でしかないけれど。良い方へ行くのなら、自分じゃ何も出来ないのなら、そうであってもいいんじゃないかな。そんな理由があるから、スポーツ現場では指導者が強く自分の考えを選手に伝えるのであってね。「こうしろ」「ああしろ」と。別に主従関係に高揚しているわけじゃない。

そもそも本人にその気は無かったのだけれど、周囲に感化されていつの間にかそれに打ち込む自分になっていた、なんてこと、あるんじゃないだろうか。自分の人生、自分の決意だけでどんどん積極的にチャレンジしていくなんて、なかなかできる人もいない。実際ほとんどは周囲の影響を受けたり、引っ張られて、のちに気づけば自分も熱心になっている事の方が多いだろうと思うのだ。

こうしろと言われた事に従っていたら、とか、あの人といつも一緒にいるうちに、とか。初めは半分やらされていたようなかたちだったけれど、結局はそのおかげでなんとかやってこられた、ということが、誰の経験にも必ずある。それは結局誰かに流されているということだろう。頑張る人、目標のある人につられているわけだね。

自分の意志では歩を進めていくことができないのならば、他人に引っ張られていくのは大いに結構だと思う。流されていけばいいし、周囲もどんどん引っ張り込んであげたらいい。もちろん良い方向にね。そうしてあげなければ、自らエネルギッシュに動くことはおそらく出来ないだろう子供って、すごく多い。

何を熱心にすることもなく面白くもない人生を過ごしていくだけなら、流されているのであっても充実しているほうが断然楽しいだろう。だったら流されればいいんだ。

コーチは、信念を貫いて思いきり引っ張っていけばいい。「強制」とか「軍隊」なんていう牽制の言葉に臆することなく。あなたの熱意が伝染することで、何かが生まれるかもしれない。