梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

意志は行動にはっきりと見える

子供たちのトレーニングや練習の様子を見ていて感じたこと。伸びる者・成長する者には“気”がある。やっぱり昔の時代も今の時代も一緒で、「気のある」やつは行動も雰囲気もそれらしいものだ。今はちょっとそういう人間が、割合としては少なくなっているのかなと思う。だから余計目立つし、不覚にもちょっと素晴らしい選手と思ってしまったりする。

そもそも「気がある」から、飽きもせず毎日・何年もその競技に打ち込んでいるのではないのか。そこに何か夢や目指すものを見出して、その実現・達成に向けて邁進しているのだと思う。だから気があって当たり前だ。

また子供たちにそういう世界を教える役目が、部活動にはあると私は考えている。よく「そこまでの気持ちじゃなきゃ部活しちゃいけないんですか?」とかなんとか言われるが、とにかく自分に合った方針のチームに行けばよい。懸けるものが無いなら、それなりの。向上を目指す場において、気のない者がいたら歪みが生じて当然だ。

ただスポーツを楽しむためならば、エンジョイする目的なら、外のレジャー施設などへ行けばそれは叶えられる。仲間内で個人的に活動しているクラブチームなどもたくさんある。そこでなら好きな分だけ気楽に楽しめる。部活動の役割はそこじゃない。まして競技スポーツで、高校カテゴリーまできて、いまさら「気がない」なんて。

「気のない」者は、何を教えようとハッパを掛けようとムダである。その選手の中には何も入っていかない。そこは他人がどうこうしようとするものではないし、出来るものでもない。それでも多くは、そういった気のない腑抜けた者たちの指導に時間を割いてしまっているだろう。コーチは、成長への意欲の無い者を変えようと必死になる。だからいっこうに有意義な方向へ進む事ができない。才のあるコーチならば、気のない者には見向きもせず、気のある者だけ相手にしてチームを成長させていくことだろう。

誰が見てもはっきりと分かる、高い目標や志を持って意欲的に取り組む「気のある」選手。そのような選手たちには、余計な事に気を使う必要がないし、時間を取られる事もない。知恵やアイテムをぽんと出してあげるだけで、あとは自分で努力し成長していくことができる。それはコーチングの成果ではない。本人の自発的な意欲だ。

彼らは取り組んでいる様からして大きく違っている。苦しいんだけど積極的で意欲的な「気のある」者。簡単で楽なことなのに手を抜き嫌々とやる「気のない」者。この歴然たる両者の行動の違いは、いったいどこからくるのか?

もはや指導体制がどうのこうの、環境がどうの方法論がどうのという問題じゃなく、その人間の生き方に因るものだと私は思う。何かを強烈に思い、その自己実現・自己達成へ向けて懸命に努力する。時間と体力をぐっと注ぎ込む。そういう生き方をしているかどうか。自分にとってスポーツがその存在になってくれているか。

ここが大きな分かれ道であり、成長し輝ける人になるかもう一方になるか、決定的なところだと確信できる。