梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

一人前

会社の社長や上司が、何かのグループのリーダーが、まだ勉強中の若手に「大丈夫だ、なんかあったら俺が責任取ってやるから、だから思いきってやってみろ」なんて気概のある言葉をかけたとする。そこには「一人前」になるという大原則があるのは当然のことだ。

それを、そうか俺がミスってもそのストレスは自分には来ないんだな、自分は責任を取らなくていいんだ、自分のケツはこの人が拭いてくれる。そんなふうにして努力・成長しようとする意志の無い人間ならば、絶対にフォローなどしてあげるべきではないと思う。

若い頃に何をやっても上手くいかないことをフォローしてもらい、手助けしてもらい、たくさん迷惑を掛けた分なんとか頑張って少しずつ成長して一人前になる。だからこそ助けてくれたりミスを背負ってくれたりするわけであって、いつまでも未熟のままで許してもらえるワケがないだろうと。

ケツを拭いてもらいっぱなし、代わりに責任取ってもらいっぱなし、ただでマイナスを吸い取ってもらってそのままですか?

なぜ未熟な時期はそれでも許されるのか、なぜ上の人たちはそれをかばい責任を被ってあげたりするのか。与える側も受ける側も、今一度よく考えてみるべきだろうと思う。

あのときはお世話になりましたとお金を使って物をプレゼントすることが、恩返しか? お中元やお歳暮とか、その額の大きさが助けてもらった大きさに見合うようにすることが大切なのか?

唯一の理解者である親は、そういうことをどう教えるのか。与えっぱなし貰いっぱなしで人同士の関わり方にすごく希薄なこの裕福な時代。口で「感謝してます」って言うことが恩返しなのか。いつも笑顔で「ありがとうございます」って言ってることが義理を果たすことになるのか。

違う。

目をかけて守ってくれた分、あなたが一丁前の人間になることが、唯一のそれに見合う精算なのだ。だから「出世払い」という言葉がある。私自身、この言葉は「出世して一人前になることで、それに尽力してくれた人への恩に報いること」と、あえてそう解釈している。

助けてもらって終わるな。面倒見てもらって終わるな。親や先生、会社の上司、部活の先輩。人生の先輩たちのありがたいご助力は大いに借りていい。そして必ず一人前になってみせることが、キミが交わした堅い堅い約束だ。