梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

「成長する」という感覚がわからない子供

何を練習するか、ということよりも、本人の「成長する力」を育てる努力が必要なんじゃなかろうか。今自分の目の前にいる選手は、そこのステップにいるのかもしれない。そう思うことがたまにある。どれだけ内容を練っても、いくら事細かにアドバイスしても延々反復しても、いっこうに入っていかない。その選手の力として技として備わらない。なぜだ?

おそらく今のこの冷たい世の中では、才能が無いとして“相手にされない”で終わるレベルだろう。だからハナからそういう人間と関わっていない人は、「成長する力」の弱い選手なんてよく意味が解らないと思う。理論張ったことだけを発してテクニカルなことばかり博識で、それがスキルアップに肝心な要素だと思っているだろう。でも、何を教えるかなど関係なく、そもそも学習・修練する本人に「育つ力」が無ければ、どんな理論も練習もアプローチも無力になる。

自分をどんどんステップアップさせていく、という力。幼少期から小学校くらいまでの歳に、自ら様々な事に注意を払い目を向けて、試し工夫し学んでいくことの経験、そして習慣。それのない子供は、成長すること伸びることとはどういう事なのか、実感として解らないんだろうと思う。私が考えるに「成長する事への興味」が幼少期に芽生えなかった子は、おそらく自らをステップアップさせていく力に乏しい。そういう子は、今の自分じゃない自分に変わっていくとか、常に「先の自分」を見るというような感性がなくて、「今の自分」への依存度が高い。だから頭が良い悪いとか運動神経が良い悪いとかで結論づけられる話ではなくて、どれだけ必死にやっても、それが心と体に入っていかないのだ。吸収する力、成長する力、変わる力みたいなのが弱いんだろうと思う。

それが果たして中学・高校の年頃から作れるものなのか。勉強や運動などが高等になり、そろそろ本格的な力を付けていくぞという年代だ。そこで初めて「成長する力」を育てようと言うのは、少し疑問符がついてしまう。新しい自分より今の自分への依存度が高い選手、成長していく力の弱い選手に、どうアプローチしたら良いのか変わることは可能なのか。なかなか先が見えず、模索する日々が続く。