梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

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こわばり

ビジネスの世界で、多くの凡人は成功のために何をすれば良いかと考えるが、成功者は要らないもの・捨てるものは何かを考える、という話がある。つまり成功への道は見つけることではなく捨てることだと。

興味深いことに、トレーニングもまったく同じようなことが言える。

普通は、自分に今ない能力を身につけるために、頑張ってその能力を耕し、後に成長して「力がついた」となる。10kgのバーベルしか持ち上げられなかったのが20kgを持てるようになった。これはまさに無かった力が“ついた”のである。

ただそれで身体能力が発達したのかというと、そうはならない。出来ない運動ができるようになる、運動が上達するというのは元を辿ればすべて「體使い」だからだ。

足が遅い、ボールをうまく捕球できない、ジャンプが下手、リズムが取れない、投げる動作が苦手、腕が上がらない脚が広がらない、バランス力がない。運動・プレイがうまくできないというのは「體が使えない」ことに因る。筋力にしても向上の秘訣は上手く體を使うこと、身体能力とは「體使い」と言い換えられる。

そこで使えるように訓練をしていくのだが、ほとんどの人は「トレーニング=能力を手に入れる」というイメージを持つ。必要な能力を今は持っていない、だからそれを【得る】のだと。

しかしトレーニングを積むにしたがって、それは徐々に上手くいかなくなる。鍛えても鍛えても、望んでいる能力がいまいち身につかない。次第にそれが限界なんじゃないかと感じ悩む。それでもひたすら持っていない感覚を探ろうとしつづけてあるとき、はじめて「こわばり」というものに気がつく。

本当は體使いの技能が「足らない・持っていない」のではなく、【余分】があるのではないか。つまりそれをするのに不要な動きや力が余計に加わっていることが、上達できない本当の原因なのではないか?ということを知る。

それが「こわばり」である。

脚を大きく出そうとするが、いくらやっても小さくなる。何度やっても上手にならない。普通はその能力 (技能・力) が無いのだと考えるが、真実は、技能・力が「無い」のではなく、脚を大きく出すのに必要なこと以外の【余分】な力までも出してしまって、動きを邪魔しているのだ。

必要な動き・必要な力だけ出せばいいのに、それを崩す動作や力が入る。技能の「伸び悩み」「変わらない」ことの真実はここにあると、長くトレーニングを積むと分かってくる。

だから数値とか持ち上げたかどうかだけのトレーニングでは、ほとんどの人が失敗する。ただやみくもに全身に力を入れ筋肉を強ばらせて100kgのバーベルが上がっても、それは運動技能にはなんのプラスにもなっていないからだ。それどころかますます不要なものを溜め込んでいることになる。

また【余分】を探らずに、ひたすらがむしゃらに力を入れよう入れようとするばかりでも、後に天井にぶつかる。競技者のほとんどが必ず経験する、一定以上どれだけ反復してもいっこうに上達しなくなる、あの限界ジレンマである。じつは能力は身についてすでに出来るはずなのだが、余分が邪魔をして動作がこわばる。そこに気がつけず行き詰まってしまう。

運動技能発達に本当の本当に必要なのは、得ることではなく【捨てる】こと。體使いの邪魔をしてる余分な動作や力を探し、それを見つけて取り除く努力が、トレーニングでの真の鍛錬課題である。そこに気づけるかどうかは非常に大きい。