梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

創るためには壊さなくてはいけない

 日本人は一度決めたことを改めるのが苦手、と言った人がいます。

 僕は、たしかに「言い得ているな」と思いました。

 話し合っても、理想を語っても、持論を説いても、結局することはほぼ変わりません。

 みんなアレコレ評論もしますが、日本の社会、僕らの生活上にはさほど大きな転換も進歩も起こらない、それが実際です。

 前とは違う新しいものを出すと、ちょっと抵抗感を示されることが多いという実感。

 また自分自身でも、同じことは言いやすいしやりやすくて、違うことだとどうも躊躇しがちだし相手にも「嫌がられるかな」と勝手に引け目を感じてしまうところがあります。

 あぁ、こういうのが「変えることが苦手」ってことなんだな、と納得するわけです。

 

 そうすると何が悪いかっていうと、思い切りがないから必要なときに大胆な一手をつくれない。

 大胆どころか、そのくらいはできるでしょというレベルでも動けなくなります。

 そんな縛られた感じがどうも嫌で、また「なんか違うよな」とも疑念があって、肩に背負った体裁「日本人なら」「日本的には」みたいな自分の勝手な思い込みをやめようと、いつだったか窮屈な衣を脱ぎ捨ててみました。

 

 そうしたら何が起こったかというと、創れるようになったんです。

 仕事でも日常でも、もっと良くするために「こうしてみよう」ってことを簡単に行動できる。

 スポーツトレーナーとして、指導者として、社会人として、親として、いろんな立場がありますけどもそれらを慣習や一般論に沿わず、自分の本心で捉えるようになりました。

 もちろんよく考え、失敗から学び、良き物は取り入れ、責任を請け負うことはした上で、自分の発想を主体にしたら、とてもフットワークが軽くなり、また一番は心がスッと広がって軽くなりました。

 きっと、なにかに強く締め付けられていたんでしょうね、自分でそうしていたんですけど、とにかく解放された感覚でラク〜になりました 笑

 

 何を考えまたつくるときにも、きまって「世間的にはこうなるなぁ」「一般的にはこうだなぁ」と考えがちで、それと違うことが間違っているかのごとく悩み、葛藤します。

 でもそれって「一体、誰を気にしているんだ?」と自分じゃないものに遠慮している不自由さが大きくなります。

 元々が決まり事に従うことに苦手な性格なので、こうして見えない縛りを解くこともできましたが、真面目に縛られ続ける日本人は少なくはないでしょう。

 それが旧態依然というやつです。

 

 創るということは、少なからずこれまでを壊す行為です。

 いまを壊せない、壊さないのならば、決して新しい一歩は踏めません。

 それは変えたように見せて実際は1ミクロンも動いていませんから、これまでとなんら変わらないものを続けるのみです。

 昔から続いてきたから、苦労して決めたことだから大事にしなければ、創った人たちの気持ちを尊重しろ、そんな決まり文句で大体が「従来どおり」「簡単には変えられない」と進歩改善なく立ち止まり続ける様子が圧倒的です。

 でも以前に決めたこと、創ったものは、いずれ自然と壊れるんです。

 前に進めれば、それは過去を止めるということ。

 否定する意図や廃止したつもりはなくとも、現在に必要なものを創ればそれはイコールで過去を壊すことになります。

 だから、変えることはこれっぽっちも悪いことではありません。

 

 日本人は過去を引きずらない訓練が必要です。

 進歩するためによりあたためるのと、いつまでも居座るのはまったく違います。

 執着するのも違います。

 いまあるもの、過去から続くものを壊すことに気を向けすぎないで、これからのより良い進展進歩に尽くすことだけを希望とするほうが健全ではないでしょうか。

 創るためには、何かが必ず壊されます。

 それは必然なので、だったらその現実を受け入れ建設的なほうへ注力すべきです。

 どれだけ苦労したかより、どれだけ良い結果を生むかに価値を見出して、さあ今を変え、これからを創ろう。