梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

今日ここへ来た君たちはラッキーだ

 先日、ある中学生バスケマンたちにクリニックをおこなった際、終わりの一言として「君たちはラッキーだ」と、より伝わるように少し声を張って言いました。

 物事は触れることが唯一のチャンスです。

 実践、実体験が何よりの学びとなり、その日僕のクリニックに触れたみんなは、触れなかった人より一歩、差を付けることになります。

 しかも大きな一歩です。

 

 これはまさか僕というトレーニングコーチが云々、僕のクリニックの内容が云々ではありません。

 そんなことを言っている話ではなく、人は学んで教養を身につけようというとき、その深さ大きさは「触れた数」で決まるということです。

 触れるという選択をした人は、ただそれだけで一つ教養を上げます。

 もちろん知識と技量も上がって成果が出ます。

 触れないことを選んだ人は、その分だけ立ち止まります。

 だから触れる人との差は、開いていくばかりです。

 

 才能、遺伝子、そんなこともよく言われますが、世の中の実像においてそのほとんどは「やってみる」をたくさんした人が結果を出しています。

 潜在的なものがどれくらいあるか、それは誰にも知り得ないし本人だって自分にどれくらいの可能性があるのかなんてわかりません。

 確実に言えることは、実践をたくさん積んだ人が当然のごとく伸び、それの乏しい人はたとえ途中までは優性でも、あとから必ず追い抜かれてしまうということです。

 だから「今日、練習に参加した君たちはラッキーです」とありのままの事実を伝えました。

 

 出欠は選手ひとりひとりの任意なので、休んだ人もいました。

 どこまでも自由意思によるもので、参加を選んだ人も休みを選んだ人もいるわけです。

 その上で客観的な事実として、練習に参加してトレーニングに触れた人は、ただそれだけで大きな知識と技能が積み上がりました。

 成長や成果とはこの数で決まります。

 するかしないかの選択があったときに「する」を選んだ人、普段その選択が多い人は確実にステップアップします。

 中身がなんであるか、それはほとんど関係ありません。

 しないを選択する人は、どんなことであれ大概「しない」になり、なにも起こらないまっすぐな平行線の日常です。

 

 だからその人の潜在的な可能性、才能や遺伝子、いまの競技レベルも無関係です。

 もし深くは考えずいつもどおりに練習に来たのだとしても、この日クリニックを受けた選手は自分の知らないものに触れました。

 できるできないに限らず、とにかく「やってみる」「考える」「工夫する」といったことをして、身体と頭をフルに使って強烈にビビビと刺激を受けたのです。

 このたしかな実体験が成長の本質であることを、短い言葉で選手たちに伝えました。

 これからもどんどん意欲的に色々な場面で「する」を集めて、素養を高めてほしいと願います。

 そして心から応援します。