梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

自立をさせないようにしているのは親なのかもしれないと、いまの社会を生きる大人は考えたほうが良いかもしれません。

 僕の考えるふたつ。

 ひとつ、教育とか子育ては誰のものかということ。

 ふたつ、教育は「親はかくあるべき」を求めることが自分たちを苦しめていること。

 子育てとか教育の論争は、どこまでも尽きることがありません。

 でもそれはすべて、本当は大人側の問題にあります。

 子は自分の人生を歩いているだけであって、子育てだ教育だなんて考えてもいないのです。

 これらはみんな、子のためと言いつつ自分がどう満足するかという大人の頭の中で渦巻く悩みです。

 教育とはいつも「どう教える」「どう育てる」と相手に何をさせるかの観点でしかありませんが、現実は何をさせなくとも子は育つのです。

 大人が舵を取らなきゃ進まない、なんてことは決してありません。

 

 大袈裟に言えば、教育や子育てなんてそのほとんどは不可欠性がないと言って良いかもしれません。

 そう、自分の思うように他人をコントロールしようとする教育と子育てなら、断じて要りません。

 まずこの歪みの根っこを正さなくてはいけない。

 大人は自分が素晴らしい子をつくるんだという思い上がりを捨てて、必要とされる分だけ尽くすことに徹すべきだろうと考えます。

 この分野における問題や悩みは、子の人生の上にあることを、大人が勝手に仕切ろうとするところにあります。

 悩んでいるのは親ばかりです。

 その親の悩みによって、子に日々ぶつける感情で子が悩むのです。

 噛み合わない、食い違う互いのストレス、負のスパイラルと言えます。

 これが生まれる淵源は、躾や教育が「コントロール」に入れ替わっているところにあって、子における問題をすべて大人が取って代わろうとするお節介が悪化している実態があります。

 それがエスカレートして、本人を差し置き大人の「こう教えた」「こう育てた」の自己満足によって、家庭と社会は益々こじれていくわけです。

 どこまでも親とか大人が主役となっているボタンの掛け違いを、僕は憂慮せずにいられません。

 

 子の成長に大人の偉ぶった忠言は要りません。

 そこには「自分があいつをこう育ててやった」という、感謝のおしつけとナルシシズムがあるばかりです。

 とくに親子の場合には後者が強くなります。

 本当は子を成長させたのは大人ではなく本人だということを知るべきであり、どれだけ学問や武芸に秀でても、まさか親が前へ出たりしてはいけません。

 もし子の胸中に「親には感謝している」という気持ちがあったとして、それもそう思える本人の感性と言えるでしょう。

 その子自身の素晴らしさであって、親の教育の素晴らしさ偉大さではありません。

 すべては本人の資質なのです。

 親も子も、意思ある一人の人間として自らの生き方を主体的に考えるものであって、それはどこまでも本人の問題として他人が余計な口を挟まず、どうにかしてやろうと勝手に子の物語(生き方)を加筆しようとすべきではないと考えます。

 

 それでは親が子になにかを言ってはいけないということでしょうか。

 親が学んできたことを教えることも、悪影響になるのか。

 いやまさか。

 外の世界から学ぶべきことはたくさんあるし、十人十色の人生経験をより多く共有することはシンプルに情報として意義の深いものです。

 ただ親の人生経験を大正解のように言って真似させようとしたり、親のフィルターで気に入らないことをなんでも非難するような行為は、どんな正しい話でも圧力でしかないということです。

 このようないわゆる「説教」は大体が聞く耳を持たれないし、反抗したり親子仲が悪くなる原因となり、結果的にマイナスをつくる行為となります。

 

 親は子にものを言うとき、立派なことを教えようとするから失敗します。

 そうではなくて、自分が心掛けていることをただありのまま話せば良いのです。

 失礼な言い方をすれば、知ったかぶりで「真理はこうである」といかにも良識人であるように振る舞うことが、他者から見れば「あなた自身はちゃんとしているんですか?」と疑問を抱くきっかけを生むことになる。

 もしそのとおりに堅く生きていたとしても、他者からすればそれを無理強いしているように感じられるでしょう。

 根本的に生き方、考え方というのは他人が決めることではないからです。

 もちろん社会が決めることでもありません。

 

 親は自分の教訓を語るとき、経験した物語を素直に伝えてあげることで子は学びになるのではないでしょうか。

 経験でこんなことがあった、こんな失敗をしたチャレンジをしたと、もちろんたった今の考え方と心掛けも、格好つけず真っ直ぐに語れば良いと思います。

 なぜなら教育とは自分を育てるものであり、外からの教えはなんにせよ、それをどうするかは自分であるから。

 大人の力で子をなんとかするという発想は捨てて、ただ同じ人間として自分はこんなふうに考えている、こんな生き方をしているということを年齢問わずみんなで見せ合って、そこからあとは本人が選んでいけば良いと思います。

 

 教育とは、子育てとは、なんて本当に必要なのか、親としてしっかり向き合いたいと思います。

 

 今日はあえて、自分への投げ掛けで綴じます。