梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

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楽をしようと一度でも考えてしまうと、僕は一気にそこへ流れていってしまう性格です

 どうもひとたび楽を経験すると、次から気力が出てきませんね。

 それは世の中の必然なのかもしれません。生きるものはみんな合理的なほうへ流れていきます。

 しかし僕らの生活は、そんなことを言っていては本当にダメになってしまいますから、理性を働かせて自分のケツを叩かにゃいけませぬ。

 とくに日常的に自分が気をつけなきゃイカンと、肝に銘じていることがいくつかあります。

 我が身のことしか心配できませんけども、一般的に誰の人生にもよくあることです。

 

 基本的にどんな場合もまず「良い思いをしよう」ってことを望んだら、もう我欲は一直線に進んでいきます。

 楽をしたいって気持ちも、つまりはそんな欲のひとつですよね。

 仕事でも家事でもいまは色々と便利になりましたけど、なんだかすることは増えています。

 暮らしが発展するほど、手間は増えます。できなかったことをできるようになるですから、当たり前ですよね。時間と手間は必要になります。

 生産性もなく良いほうへも前進しないことを、辛い思いをしてまでする価値はありませんから、本当に先のないことはやめるべきです。

 いずれ心も体も壊れてしまいます。

 重労働を我慢して耐えるってことを言いたいんじゃなくて、本当は誰だってできるようなことでも「楽しよう」と一度考えてしまうと、それはどこまでも膨らんでいってしまって取り返しがつかなくなるんです。

 大体そうじゃないですか、面倒なことでも「よしやるぞ」と振り絞って頑張るときと、ひとたび「したくないなァ」なんて思ったら簡単なことでも気力は萎みますよね。

 だから楽をしたいと思っちゃったら終わりなんです。

 僕はそれをよく経験して知っているので、意識的に手を休めないようにしています。

 

 律するってほどの気難しいつもりは一切なくて、たとえば早起きも、良い食事を心掛けることも、したほうが確実にプラスなことです。

 もちろんそれを意識して行わないと、つねに「楽しよう」「テキトーでいいや」が顔を覗かせて来ますから、少しだけそれと睨み合っているだけです。

 もし実質的にそれがオーバーワークになるようなら、ちゃんと身体が感じますから休むか場合によっては止めてしまってもいいんじゃないでしょうか。

 もしやめてしまっても「楽をする」「良い思いをする」とは、まったく意味が違いますから。

 

 これと同じ感情で、得をしたい気持ちっていうことがあります。

 相応のモノ・コトより「良い思い」をしようと望むことですよね。やはり同様の感覚です。

 これは明日にします。

 では皆さん、今日も良い一日を。