梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

学ぶことの本当の姿を教えてくれるのは赤ん坊ですね。学校のお勉強で天手古舞いしている僕らに勝ち目はありません。

 学ぶとはなんでしょうか。反対に遊ぶとはなにか。

 そもそも、そのふたつは対極にあるものなのでしょうか。

 学ぶことを言い換えると、ほとんどの人は「勉強」と思い浮かべるはずです。

 では勉強とはなにか。

 学問の習得です。

 習得は修得と言い換えられます。

 そう単位の修得です。

 僕らが認識していて普段の生活にあるところの勉強っていうのは、学校の授業などで点数を取り、評定で良い判定をもらうことですね。

 勉強と言えば「授業の単位を取ること」です。

 つまり問いの最初と最後を繋ぐと、学びとは単位を取ることってことになります。

 点数を取って良い評価をもらい、それが自分の能力を顕すデータとなる。

 個人データとして、あなたがどんな人物かが書かれたファイルに記載されるわけです。

 

 そこから何が起こるかと言うと、単位を取る方法を考え始めます。

 どうやったら良い点数を取れて、自分のデータが上がるか、それが一番先頭になります。

 だから不正が起こります。

 カンニング、改ざん、水増し、大人の世界になれば賄賂で成績を買ったり肩書きを偽称したり、「大目に見てくれ」「上乗せしてくれ」と泣き落としや懇願が起こります。

 勉強が数字を取ることであり、それが先頭にあるからです。

 

 だからみんな勉強が嫌いです。

 勉強はできればしたくないことの代表格。

 学びという言葉を使うと大抵が勉強と認識するので、学問的知識を詰め込まなくてはいけない・・・と率直に気持ちが重くなるわけです。

 この僕の個人ブログにも学びの言葉や話題がたくさんありますから、それを読んで「うわ堅いな」「うっとうしいな」と嫌気がさす人は多いだろうと思います。

 これでは一向に教育は良くならないでしょう。

 

 学びとは本来、生きることそのものです。

 人は必ず毎日の生活で、学びながら過ごしています。

 生物は脳の大きさはあれど、生き抜くためにより良い選択ができるよういつも学習しています。

 それが人間の場合は、自由が多く選択の範囲が広いということです。

 学ぶことを、学校へ行かなくてはいけないから、学校では国数理社英という学問でテストの点数を取らなきゃいけないから、と意識の中で繋げているため、人によってはそれら以外の生活の中にある学びも放棄してしまうことがあります。

 でも本当は、学校の勉強と生きる上での学びは違うものです。

 いやもっと本当は、学びというものの捉え方がいまの僕らに馴染んでいる「単位・資格を取るためのテスト勉強」ではなく、本来の意味で認識できていたら、学ぶことにストレスなどなく学校の勉強だってもう少し意欲的に取り組めるのではないかなと思うんです。

 

 自分の今や過去も思い浮かべなから、本当にそう思います。

 2歳の我が子を見ると、さらに強く実感します。

 どうやら人間は、学ぶことを生きる基本としているようです。

 ペーパーテストで良い点数を取ることが先頭ではなく、テストがあってもなくても、成績や資格取得に関係あってもなくても、そんなことのためにではなくより充実した人生を自ら膨らませていくために、当たり前に学ぶ脳があるんです。

 

 ひとまずいま息子は、ものすごい勢いで学んでいます。

 親がすることは何もありません。

 せっかくの学び脳の発達をジャマしないことだけです。

 生きるために学びまくれば、テストの点数取ることなんてチョロいチョロい、それくらいの余裕があって良いと思います。

 しなくてはいけないから・・・では成績は上がりません、自発的に行動することだけが学びとなります。

 生徒のみんなも、勉強の先頭を入れ替えてどんどん学びましょう。