梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

違うと思うことがあるなら断固言うべき。なにもしないで許容しているなら文句は言っちゃダメです。

 前回のエントリーで、一例として個人的な家族の話をちょっとしました。

 もうひとつ、違う視点を申し上げたいと思います。

 日本人は自分がなにかするのではなくて、誰かが勝手に自分を気持ちよくしてくれるとどこかで考えています。

 己の満足を制度がつくってくれる、誰かが勝手にそれを察知してばっちりなシステムにしてくれると、本気で考えています。

 それは「おもてなし」が物語っています。

 相手に良い時間を過ごしてもらおうと気を遣い、どんなものが喜ばれるか慮って(おもんばかって)接遇することがおもてなしですね。

 それを日常化させたものが、行政サービスとかインフラだと考えてください。

 気持ちよく使えて当たり前、問題は起きなくて当たり前の世界で日本人は生きています。

 できるだけ良い条件をはじめから獲得することが、誰の感覚にも存在していて、なにか都合の悪いことがあるとちょっとのことで不満を抱きます。

 現代病とも言えると思います。

 

 この現代病の悪いところは、良いものを求めることでも不満を持つことでもありません。

 自分でなにも行動しないところです。

 自分で欲しい物事を、自分の力で獲得しようとしないことが、本当の病の根っこだと僕は言い続けています。 

 なにも行動していないただの愚痴は、聞く価値のない話題です。

 偉そうに聞こえるかもしれませんけど、正直に申し上げています。

 こんな事を言われたされた、腹が立つ、納得がいかない、断固容認できない、そんな思いがありながら話のオチは愚痴。

 聞かさせる側になんの価値がありますか?

 この仕組みはおかしい、旧態依然としている、上の人間が良くない、世間から遅れている、だからどうしようとしているのかを話してくれると思ったら、それがない。

 これはただ他人事のように批評をしているだけなのです。

 これが日本の当たり前です。

 誰かを悪く言っているんじゃなくて、ルールや方法を自分で動かしていくという社会づくり体制づくりに僕らは慣れていません。

 気づけばいつの間にか決まっている物事に対して、僕らは守るか破るかの選択しかしません。

 そうやってどこまでも一個人の立ち位置であるのが日本人です。

 

 良くないと考える部分があるなら、変えようとしましょう。

 裏で怒りを表現しても何も起こりません。

 批判をしても、それがいくら正当で理にかなっていても、誰にも聞こえていません。

 なにも行動していないのなら、その現状を受け入れていると言うことです。

 受け入れているのだから不満を言ってはいけない。

 情況を好転させるのは誰でしょうか、誰かがやってくれるのを神頼みするのか、唯々嘆くばかりか。

 目の前にあるものは自分でなんとかして変えるしかありません。

 自分は労せずして好むような環境を期待するのは、現代日本人の悪い面です。

 

 そういうことにまったく馴染みのない日本を、ちょっとずつ鍛えていく必要があります。

 自分たちを鍛えないといけません。

 いままでずっとお上に預けていたことを、自分の手に握って責任を請け負うのはたいへんな道のりですが、ここからの時代は全部自分で動いて自分で獲得していく主体性が、あらゆる場面で必要です。

 誰かが言っていたとか、前からそういう決まりだからなんていう他人事の感覚から、脱却していく未来にしましょう。