梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

子育ては自分育てだと思ったのが、子に「天才」と言うひとつの理由です。

 僕は子どもに「天才」といつも言います。

 実際に天才だからです。この世に生まれた子どもはみんな天才です。

 と言うことは、本当は大人も天才です。

 若者から中年から年寄りまで、みんながみんな天才として生まれ、その可能性を伸ばして今があるはずです。

 でも実際は、天才でなくして育った僕らは凡人になっています。

 凡人の中で、ちょっと知識が多かったり仕事で成功して年収が高かったりする人がいるだけです。

 大人になった今からでは、生まれた頃の可能性を再度伸ばすことはできません。

 

 僕は子どもを「自分の枠にはめない」ようにしています。

 それが天才を凡人に落とす一番の悪だからです。

 自分がなんぼのもんか。

 自身があるとか、ないとかではありません。

 そんなものはあってもなくても、教えて導いてやっているという行為そのものをやめなくてはいけないのです。

 子どもは自分の力で勝手に学んでいきます。日々どんどん学びます。

 凡人の大人が格好つけて親面をしなくても、いやしないほうがスクスク伸びると僕は思っています。 

 

 反面、子はなんでも真似してしまうので、良いことも悪いこともそのまま吸収します。

 だから一番真似される親は常、子の天才が伸びるような言動をしないといけません。

 僕がなまけ者でずるいダメ親だったら、子はそれを吸収します。

 利己的でご都合主義の性格がもしあればそれは必ず表に出ますから、日々そんなダメ大人と暮らしていることで子の天才はどんどん消えていきます。

 子は自分の鏡であると、親は自覚しましょう。

 

 親面をしませんが、それは放任するってことを言っているのではなく、親の行いが子へダイレクトに染み込むことを思えば、まず親が自分の生き方をきちんと正すことが子育ての努めだと思っています。

 つまり僕の子育ては、自分の日々を鍛えることです。

 自分を教育することが、息子への責任だろうと考えます。

 勉強してチャレンジして、面倒なことも放らずコツコツやり、弱い心を強く鍛えていくことをする。

 いつどこで息子が僕を観察しているか分かりませんから、彼の天才を育てるためには僕自身を懸命に生きるということです。

 これべつに格好イイことでもなんでもありません、皆さんからすればごく当たり前のことです。

 僕は弱いので、自制をして地道に取り組む努力が要ります。

 

 生真面目なお堅い人間になろうと言うことでもありません。

 まったくそんな気はありません。

 自己判断でルールに背くこともありますし、人と小競り合いするようなこともきっとあるでしょう。

 気にくわなかったらノーとはっきり言って拒絶します。

 清廉潔白で生きることなど到底できないししませんが、自分の中の信念は少しくらい持っておこうかなと。

 僕が上から決めてしまえば、子も凡人になっちゃいます。

 どこまでも天才を伸ばしてもらえるように、親も死ぬまで「志半ば」を貫きます。