梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

子どものために良いことしている自分!やる気に火をつけている自分!その高揚感と努力はあなただけを満たしています

 練習のし過ぎ、追い込み、キツい口調、それらはスパルタなんて言われています。

 過剰指導として昨今はとくに否定的な論調が多くなってきましたが、その反対側の過剰指導に目を向ける人はほとんどいないようです。

 僕はいつでも同じスタンスです。言うことは変えません。

 個人ブログや他のSNSなどにもこの話は幾度となくしています。

 異様に厳しくとも、異様に褒めちぎっても、それはどちらも指導者からの過剰な接触です。

 マイナス面が強調されると失敗すると言うのはその通りですが、それとは別の側面としてコーチの熱い思いを押し付けているという問題を私たちは根本に抱えています。

 これは冷めているほうが良いだとか、子の良い未来を願うのが悪いといったことではもちろんありません。

 この地味ブログをよくご覧の方は、みなさん頭脳明晰でありますから言うまでもないと思います。

 

 僕は度々、育成や教育というものを指導する側の一方から語ることをやめるべきだと申し上げています。

 どれだけ子どものため、生徒のためとして考えを巡らせて行っても、出発点が大人目線なので、本人の立場が横に置かれていることになります。

 スポーツでの育成として選手をどう育てるか、教育の根幹における生徒の成長をどう考えるか、これらはすべて他人である大人つまりスポーツコーチ、教師、親がどういった行動をするか、という点で同じです。

 他人が勝手に割って入って決めようとしているのですから、決して良い方向へは動きません。

 本人が歩こうとしないのを、「育てられないことが問題」として他人(大人)が悪いみたいな話を延々しているんですね。

 しまいには、意欲を出すとか夢を持つことすら、他人の力で引き出すのだと言い始めています。

 現代はすべて「大人が子をどう作るか」が前提になっています。

 これは本当に正常でしょうか。

 本人の主体的な意思が置き去りならば、それは結果云々に関わらず指導を行う側の自己を満足させる行為です。

 大きなお世話というやつですね。

 

 この手の議論では、エゴという言葉をよく聞きます。

 やる気を引き出す、心に火をつける、褒めて伸ばす、良いことのように聞こえますが、これもエゴです。

 他人の満足だからです。

 あくまで「する」じゃなく「させる」ですよね。

 教育論、指導論はつねに大人から一方通行の議論でしかないんです。

 だから僕は、中身はどうであっても根幹にあるのは学ぶ本人が自分を育てることだと投げ掛けています。

 スパルタでも放任でもプラス思考でも、手法はどうでも良くて、大事なのは自分の人生をどう考えていくかを強く意識していること、それを請け負うのも結果を出すのもすべてが自分であることを、生きる本人が自覚することに本質があります。

 育成とか教育というものを考えるならば、主体性を伸ばす為にこそみんなで知恵を絞りませんか。

 他人が勝手に本人の出来を憂い、自分の力で成長させてあげようとして一線を飛び越えてしまう過剰指導のすべてを改めなくてはいけません。

 まず大人側だけがそれをすることを止めましょう。

 どれほど前向きでも、褒めても、やる気スイッチを刺激しても、それを他人がするのではマインドコントロールです。

 本当の自立とは、もっと自由でかつ熾烈な世界であると信じます。

 大人がせずとも、いずれ本人が受け止めることになる成長への試練が、全員の人生にちゃんと待ち受けていますので。

 頑張りすぎをまずやめましょう。