梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

進化というのはアジャストです。変われる人と変われない人の違い、昔も今もすべからく。

 先日、床屋のセカンドマスターと面白い話をしました。

 この家族経営の床屋さんは僕が20代の頃から通っている理髪店で、じつは東京にあります。

 今でも気分転換に敢えて車を走らせて、月に一度お店に顔を出しています。

 セカンドマスターと書いたのは、一応その方のお父さんがいらっしゃって、まだお店に立たれているからです。

 実質はほとんど息子さんが営業しているのだと思いますが、お父さんに敬意を表してそのように書いています。

 

▼さて、本題です。

 僕が散髪してもらっている間に、飛び入りのお客さんが二人、順に来られました。

 なんと斜め向かいにある居酒屋さんの店主と息子さんが、たまたま個別に店に入ってきたようです。

 最初に来たのは息子さん、あと1時間待ちますと言われ帰って行きました。

 じつは前日も飛び入りで来て、同じことになったそうです。

 2ndマスターは「予約してくれって言ってるんですけどね(苦笑)」と言っていて、そこから色々とまつわる話で盛り上がりました。

 床屋さんは、僕が行くといつもこの「予約」に関して不満を口にします。

 こういうお客さんが、大変に多いんだそうです。

 しかも一見ではなく昔から馴染みの客なのに、何度言っても予約をしてくれないと。

 

 これは店側も客側も、どちらも不幸です。

 お店はせっかくの大切なお客さんを、その日だけかもしれませんが失います。

 その瞬間の売上が消えてしまうんですね。

 客のほうも、せっかく足を運んだのに望みが叶いません。

 また後日改めれば済みますし、散髪ですから大きなダメージはないけれど、多少なりともこのあとの予定、計画に響きます。

 これはもうあきらかに予約という「事前の確定」を取ることが唯一つの選択肢ですが、なぜかお客さんたちは予約を取らず、また次もフラッと飛び入りで顔を出すんだそうです。

 それで案の定、先客がいて待たされる。

 待つのは嫌なので、渋々帰って行くと。

 

▼2ndマスターはこう言っていました。

 「床屋という店を見下しているんですよ!」

 たしかにそれは根っこにあると僕も思いました。

 行列のできるラーメン屋には、なんの迷いもなく並びますよね。

 ディズニーランドの入り口やアトラクションなんて行列がすごいけど、みんな平気で何時間でも待っています。

 でも町内の床屋だと、思い立ったときにパッと入ってすぐやってもらえることを想像しているということです。

 まあ行列していない、てのはあります。

 すぐに座れたことも幾度となくあるんでしょう。

 だから予約という手間をせず、突撃訪問したタイミングで空いていることを期待する、その気持ちは分かります。

 ただ僕も経験ありますけど、意外とそう期待して行ったときって、運悪く?混んでいたりするんです。いつもは暇なお店でも。

 「なんで俺が行ったときに限って埋まってんだ?いつも暇なくせに・・・」てぼやいてみたところで、入れないものは入れない。

 計画はズレて、行動は無駄に終わります。

 僕はこの手間を惜しんだばっかりに無駄足を踏んでしまうことが嫌だったので、いまはできるだけ先に確約を取ってから行動することにしています。

 とくに待たされたり断られたりする可能性の高い物事については、一本電話なりネットの予約なりを必ずします。

 この習慣が身についている人にとっては、当たり前でなんのこっちゃの話です。

 でも床屋さんが困っているのは、お願いしても行動を変えてくれない馴染みのお客さんが多いことなんです。

 あなたと反対に、断固予約ということをしない、いやしたくない?するのが面倒?なにかわかりませんが、そんな人が少なくないそうです。

 無駄足を何度も繰り返しているのに、それでも続ける人の心理とはどんなものでしょうか。

 不思議ですよね。

 

▼で結局なにを言いたいのかというと、変わる人と変われない人の差です。

 2ndマスターは床屋をバカにしていると仰っていました。それも分かります。

 さらに僕は、自分を変化させていくことを身につけていない孤立した人である、と考えました。

 これは特別な誰かの話ではなく、自分も含め人間ならよくある傾向だと思うので、みんなと一緒に成長するためにここで書いています。

 

 適応と言う言葉がありますね。

 これは、世に存在するものすべての大原則です。

 合わせられるものが残り、できないものは消えていきます。

 これがいわゆる変化です。

 僕たちも暮らしの中で、自然界に対しても社会に対しても、自分の身体にあっても、そのときその場面に応じて自分から変化していくことが絶対です。

 自分の外の世界が自分のほうに合わせてくれることはありませんよね?

 失敗や苦労を減らして賢明な人生を築こうとするならば、生きる上での技量を磨いていく必要があります。

 つまり自己成長です。

 身を置いている環境でそこに適応するためには、つね変化していかなければいけません。

 それは学んで自己を磨くことであり、成長していくことを表します。

 それができずに、いやできるのに自ら選んで「せずに」いることは暗愚というほかありません。

 

▼たかが予約一つでそこまで言うかと思われるでしょうか。

 そうです、たった予約程度の手間すら惜しむような意固地は、自分から可能性明るい未来を壊しているのですから最悪に自滅行為です。

 己を自ら貶めてどうしますか。

 なんだか重い話になってきました。

 さらに2ndマスターが嘆いていたのは、そういう人はちょっと指摘すると「昔はそれが当たり前だったんだ」「おれは今までずっとそうやってきたんだ」と突っぱねてさらに閉じ籠もり、全然話を聞いてくれないと言います。

 わかりますよね、こうやってどんどん孤立していくことが。

 頑なに譲らないでいたって、現在(いま)の方法やルールというものがあるのですから、あっさりはじかれてしまうだけです。

 いくら社会を非難しても、実際は自分のほうが社会からそっぽを向かれていることを、自覚できないでいるのですね。

 これは非常につらい情況と言えます。

 

▼では最後にとっておきの話です。

 auの携帯電話を持っていた人が、設定に困ったものの家の近くにショップがないので、docomoに入って教えろと言ったそうです。ハハハ。

 掛け合ってもらえずに腹を立て、改めて遠くのauショップに行くとこれまた予約がないので入れてもらえなかった。

 それを床屋さんで、怒り心頭に話していたと言うことでした。

 ちょっと特異なケースだとは思いますが、ものすごく自分都合で勝手をしている行為であることに、ここは異論がないと思います。

 常識のない変な人と見るかもしれませんが、時代の変化に合わせて自分を適応させていない人なんだと、僕は理解しています。

 きっと、たったいまの世について行けないのではなくて、これまでもずっとアジャストして来なかったんじゃないのかな。

 僕らも絶えず変わって新しくなる世の中に適応していかないと、これと同じようになってしまうってことです。

 決してこれらの人たちを批評しているんじゃなくて、我が身に置き換えて心掛けていこうという学びです。

 変わるという言葉は良い意味で使われない印象もありますけども、「成長」と気がつくことができれば受け入れやすくなると思います。

 

 さあどうでしたか?

 床屋の予約の話が、まさかの人生学となりました。

 適応、変化、成長。

 2ndマスターから素晴らしいテーマをもらえました☆感謝!!