梅原淳の心*體みなぎるエッセイ/Playground Heroes

運動の専門家が子どもたちの成長をスポーツ*子育て*教育など、あらゆる視点から応援します

なにを言っても変わらないと思っているのはあなただけではありません。でもそれは間違いです。あなたが動いていないだけ。

 自分なりに、昨年から心掛けて努めていることがあります。

 それは、自分の人生に関わることを「誰かに任せない」と言うことです。

 身近なことで言えば我が家庭やご近所の町内会、もっとも広く言えば国づくりに至るまで、すべては自分の手で創っているものであり、またその当事者の一人であるという意識を強く持つようになりました。

 きっかけは色々あります。

 日々、部活動で子どもたちの姿を見てそれを自分に投影することもあるし、コロナや近年の度重なる人的事故と自然災害もそのひとつです。

 たくさんのことが積み上がった結果なのですが、明確に自覚したことがふたつあります。

 ひとつは「他人に任せていたら良いものができない」ということ、もうひとつには「現在の在り方に不足があるなら変えるしかない」ということです。

 僕たち日本人は、2,000年という果てしない年月を繋いできた世界で最も古い国の国民です。

 あまりにその歴史が長いために、秩序と法は当たり前に存在し、国民皆がその中で安定的また堅実に暮らせる環境しか知らないのだと、なにかの本に書いてありました。

 この言葉どおりではないですが、そういった趣旨のことが書かれていました。

 つまり、気づいたときにはすでに住みよい暮らしが成立していたので、自分たちで国を創るという意識は持ち合わせていないのだと言うのです。

 

 僕はそれを読んだときに、「そうか自分で動けば、少しずつでもきっと望むものに変わっていくってことだな」と勝手に頭で考えました。

 よく考えたら、多くのことを人に預けたり任せていて、たとえば日常で言うとお店のサービスなどでもすべて「してもらう側」になっている自分がいます。

 ぜんぶ自分に合うように、誰かがやってくれると思っている感覚が根っこにあるんですね。

 だからこそ、なにげない「こうしてくれませんか」を日本人はあまり言わない。

 いや言えない。

 言うことはワガママだとか、身勝手だと考える国民性です。

 自分の活用しやすいように変えることや創ることに及び腰なのが、日本人の僕たちです。

 そういうことに不慣れであるんです、きっと。

 でも自分で手を挙げなければ、自分で動かなければ利便性の良いものは生まれません。

 段取りが悪いとか、進行が遅いとか、使いづらい、手続きが複雑、解りづらい、事務的、不親切など、そんなことって生活の中でたくさんありますよね。

 他人に決められた格好の中だけで行動することは、不自由と言えないでしょうか。

 もっとこうした方が良い、こうすると使いやすいと思うことが、皆さんの考えにも日々その都度で浮かんでいるはずです。

 それらをしまい込まず、本当は積極的に意見したほうが物事は前へ進んでいくのだということを、もっと経験してほしいんです。

 

 わかりやすくするために、日常的によくある例を挙げてみますね。

 たとえば職場で、毎日顔を合わせてひとつのプロジェクトを成功させるために、ともに頑張っている仕事仲間がいます。

 上司から部下まで含めて、手を握り合っているチームですね。

 そんな家族の次に繋がりの強いコミュニティだと、意見を言いづらいかもしれません。

 でもいまの状態よりも良くなることならば、遠慮しないで「今度からこれ変えない?」という提案をどんどんしたほうがプラスです。

 断固そうするべきです。

 自分個人だけが有利になることをするのは論外ですが、全体に良い影響があることだったら、積極的に変えたほうが幸せが広がりますよね。

 些細なことでも、気になるものは変えることが吉をもたらします。

 

 それから、僕たちが生活上で必要としている公共サービスがあります。

 たとえば電気とかガス、役所へ用事があることも少なくありません。電車やバスにも乗ります。

 そのようなものについて「こうしてほしい」ということがあれば、市民の意見や要望として相手へ伝えたほうが地域全体の幸せに繋がります。

 でもそれをする人は多くありません。

 怒りの感情で不満をぶちまける人はいますけど、それはただ発散であって意見とは違います。

 この部分をこうしてほしいとか、その方法のほうが段取りが早く進む、こうしてもらえるとみんなが利用しやすい、そういった「自分だったらこうする」という思考を黙っていないで提案することは、自分だけにとどまらず周囲のみんなに寄与すると思いませんか。

 これだけ多くの人口があって、たくさんのオリジナルな発想が生まれるのですから、そんな素晴らしい案を外に見せないことは国民全体にとって大損失です。

 

 これらは経済活動の中で、ものを買う行為でも同様のことがあります。

 カフェやレストランで食事をしたり、デパートで商品を購入したり、病院で診察を受けたり、レジャー施設で遊んだり、僕たちは様々なサービスを利用します。

 たとえばもし見過ごせない行為や不利益になることがあったなら、他の利用者のためにも運営側の発展ためにも、善意を以て提案することをおすすめします。

 生活環境は、周囲全体で良くしていくものです。

 個人的な都合による不満ではなく、みんなにとって直したほうが良いと考えたものがある場合は、しっかりと伝えることがベターです。

 

 「どうせ言っても変わらないから」とほとんどの人が考えています。

 角が立つので黙って我慢するけれど、陰で不平不満、文句を爆発させている人も多いと思います。

 それは、自分が尽くして変える行動を持たないからです。

 誰かなにかにすっかり任せ、勝手に自分に住みやすい都合の良い環境であることに、日本人は慣れてしまっています。

 もっと言えば、それしか知りません。

 だから自分で創る、自分で変える意識を持たないために与えられるがままであり、本当は意見要望があっても口をつぐんでしまうし、唯々怒りの発散(文句)ばかりになっています。

 それは当事者の感覚がないから。

 外のことに口を挟んでいる、と認識しているんですね。

 

 でも違います。

 すべてのことはみんなで考えて、みんなで創っていくものです。

 誰かがやってくれた事の恩恵に与る(あずかる)のではなく、自分も汗を掻いて柱の一本を立てていく、その感覚が大事だと僕は自覚しました。

 そうすればTVやラジオでタレントがなにもしないくせに批判だけしたり、エセ学者が知ったかぶりで論じたりすることもしなくなるはずです。

 もっと献身的な意見が増えるでしょう。

 それら日本の日常に広がる光景は、二千数百年という刻が生み出した「当事者意識の無さ」に起因するものだと考えて、個人としてはそれを我が人生で変えていこうと、善意で考えたことは口頭でも文面でも伝えていくと決めました。

 自分の手作業でできることはすべて自分で行い、それ以外ならば声として意見、提案を届ける。

 それをささやかに努めています。

 

 だからみなさん、あなたも、あなたも、日本を良くするために、日本のスポーツ、日本の教育、日本の食事を良くするために、みんなの生活を充実させるために、どうぞ一緒に考えましょう。